反強磁性体を用いたスピントルク磁気メモリの実証
―磁気メモリの超高記録密度化へ道筋―

本研究成果は、2018年10月18日(現地時間)に米国の科学誌「Physical Review Letters」にオンライン公開されました。 
 京都大学化学研究所の森山貴広准教授と小野輝男教授の研究グループは、東北大学金属材料研究所の周偉男博士研究員(現:物質・材料研究機構ポスドク研究員)、関剛斎准教授、高梨弘毅教授と共同で、コバルト・ガドリニウム(CoGd)合金多層膜から成る反強磁性材料を用いた反強磁性体スピントルク磁気メモリを実証しました。反強磁性体は、一般に、磁気モーメントを有しますが、隣り合う磁気モーメントが反対方向を向いて整列しているため、全体として自発磁化を持たないという性質を持つ物質です。本研究では、この反強磁性体特有の性質を利用し、電流で書き込みができるが、外部磁場擾乱に強い磁気メモリの動作原理、およびメモリ素子を実証しました。今回実証されたスピントルク磁気メモリの動作原理は、本実験で用いたCoGd合金のみならず他の反強磁性材料にも広く適用可能です。本成果はまた、反強磁性体における磁気モーメント操作の新しい物理を開拓するものであり、超高記録密度・低消費電力の磁気メモリ開発につながることが期待されます。
 
1. 背景
 高度情報化社会の発展に伴う情報量の急激な増加に伴い、情報記録デバイスの超高記録密度化・低消費電力化が求められています。ハードディスクドライブや磁気ランダムアクセスメモリに代表されるような磁気記録デバイスでは、コバルト(Co)や鉄(Fe)、ニッケル(Ni)などの強磁性体から成る記録層に、電流(あるいはスピントルク効果)や磁場で“0”か“1”のデジタル情報を書き込む、すなわち磁気モーメントの反転により記録する方法が用いられています。しかしながら、これら従来の磁気記録デバイスでは、図1に示すように強磁性体自身から発生する双極子磁場(漏れ磁場)によるビット間干渉の問題が、超高記録密度化への壁となっています。
 一方、反強磁性体は、ミクロな磁気モーメントを有しますが、隣り合う磁気モーメントが反対方向を向いて整列しているため漏れ磁場が発生せず、外部磁場に対しても磁気モーメントはほとんど応答しません。しかしながら、スピントルク効果はミクロな磁気モーメントに直接作用するため、電流による磁気モーメントの制御は可能です。これらの反強磁性体特有の性質を利用することで、電流では書き込み(磁気モーメントの回転)ができるが、外部磁場擾乱には強い磁気メモリが実現できます。したがって、反強磁性体磁気メモリの実現は漏れ磁場の問題を解決し、磁気メモリの超高記録密度化へのブレークスルーとなることが期待されます。
 
図1:磁気記録デバイスの高密度化に関する、強磁性体用いた従来の磁気メモリと反強磁性体を用いた場合の比較
 
2. 研究手法・成果
 本研究では、反強磁性材料としてコバルト・ガドリニウム(CoGd)合金多層膜を用いました。組成の異なるCoGd合金(Co86Gd14とCo62Gd38)を積層させることでそれぞれの層の磁気モーメントが反対方向に向いて結合した(反強磁性結合状態)記録層を作りました。さらに、この記録層をプラチナ(Pt)層で上下から挟みこむことでメモリ素子構造としました。上下のPt層に書き込み電流が流れるとスピンホール効果によりスピン流が記録層に作用して、スピントルク効果によりCoGd合金の磁気モーメントにトルク(回転力)を与えます(図2(a))。今回本研究チームが提案したPtで挟み込むような素子構造では、上下のPtからそれぞれ逆方向に分極したスピン流が反強磁性磁化に作用するため、より効率的に回転力が得られます。流す電流が十分に大きいと、磁気モーメントは初期位置から90度回転した状態で安定化します。本実験では、書き込み電流方向を90度変えられるような書き込み手法(図2(b))を用いてメモリ動作の原理実証を試みました。
 本研究チームは、本メモリ素子において、繰り返し書き込み(“0”,“1”)の後、それぞれ読み出しを行い、(“0”,“1”)に対応して素子の抵抗が変化することを実証しました(図3(a))。また、6 x 106 A/cm2程度の電流で書き込みが可能なことが分かりました。さらに、同様の素子において外部磁場による書き込みを試みたところ、数キロエルステッド(磁界強度の単位)程度の磁場では満足に書き込みができないことを示しました(図3(b))。即ち、電流で書き込みができるが、外部磁場では書き込みが容易ではない(外部磁場擾乱に強い)磁気メモリの実現・実証に成功しました。
 本成果は、反強磁性体における磁気モーメント操作の新しい手法、素子構造、および物理を開拓するものです。また、反強磁性体を用いた磁気メモリの先駆的研究であり、磁気メモリの超高密度化へのブレークスルーにつながるものです。
 
図2:(a)反強磁性結合したCoGd合金二層膜(反強磁性記録層)をPtで挟んだ構造のメモリ素子およびスピントルク効果による電流書き込み原理の概略図。上下のPt層に電流が流れるとスピンホール効果によりスピン流が記録層に作用して、スピントルク(回転力)により記録層の反強磁性結合した磁気モーメントm1、m2が回転する。 (b)今回実証した反強磁性スピントルク磁気メモリの書き込みおよび読み出し手法の概略図。書き込みは電流によりスピントルク効果を用いて行い、読み出しはホール抵抗を参照する。
 
図3: (a)電流による(“0”,“1”)の書き込みを行い、それぞれの書き込み後にホール抵抗を測定した結果。(“0”,“1”)の書き込みに応じてホール抵抗が繰り返し一定値に変化していることが分かる。(b) 外部磁場により書き込みを行い、ホール抵抗を測定した結果。電流による書き込みに比べて、読み出し時のホール抵抗は明瞭に変化しておらず、数キロエルステッド程度の磁場では満足に書き込みができないことを示している。
 
3. 波及効果、今後の予定
 本研究チームが実証した反強磁性体を用いたスピントルク磁気メモリの動作原理は、今回実験で用いたCoGd合金のみならず他の反強磁性材料にも広く適用可能であると考えられます。強磁性を示す材料群に比べて、反強磁性を示す材料群は豊富にあるため、反強磁性メモリ素子に最適な材料探索などが期待されます。また、近年、反強磁性体の特質を積極的に利用した反強磁性スピントロニクスの研究が盛んに行われています。これらの研究においても、反強磁性体中の磁気モーメントをいかに操作するかは重要な研究対象であり、本研究成果がその一助となることを期待しています。
 

●用語解説●

スピントルク効果:伝導電子が持つスピン角運動量が磁気モーメントに直接作用することによって生じる、磁気モーメントを回転させる力(トルク)のこと。スピントルク効果を用いると、外部磁場を使うよりも小さいエネルギーで磁気モーメントを操作することができる。

 

双極子磁場:磁気モーメントを持つ物質から外部に放射される磁場のこと。反強磁性体の場合、ミクロには磁気モーメントを持つが、隣り合う磁気モーメントが反対方向を向いて整列しているため、全体として磁気モーメントがゼロとみなせる。よって、反強磁性体から生じる双極子磁場は無視できるほど小さい。

 

スピンホール効果とスピン流:非磁性体の金属や半導体に電流を流すと、電流と垂直の方向に電子スピンの流れ(スピン角運動量の流れ)が発生する現象。このスピン角運動量の流れはスピン流と呼ばれる。スピンホール効果が大きいPtなどを用いると電流からスピン流に比較的簡易に効率よく変換できるため、スピン流を積極的に利用するスピントロニクスデバイスでよく用いられている。

 

強磁性を示す材料群:室温で強磁性を示す単体の金属元素は、Fe、Co、Ni、Gdであり、一般によく知られている強磁性を示す材料群はこれらの元素を1つ以上含む化合物であることが多い。これに対して、反強磁性を示す材料群はこの限りではない。

 

反強磁性スピントロニクス:反強磁性体の外部磁場耐性や超高速ダイナミクス、材料群の豊富さを積極的に生かして、超高密度・超高速スピントロニクス素子等の新規デバイスを目指した研究分野。近年、反強磁性体スピントロニクスの研究が国内外問わず盛んにおこなわれている。

 
 本研究の一部は、科研研究費補助金「特別推進研究」、「若手研究(A)」、「基盤研究(B)」、「新学術領域研究:ナノスピン変換科学」、スピントロニクス学術研究基盤連携ネットワークの助成を受けて行われました。