ヘプタセンの「真の」励起状態ダイナミクスを解明 ―室温均一希薄溶液中での蛍光と薄膜での一重項分裂を世界で初めて観測―

公開日:2026年2月9日
本研究成果は、2026年2月5日に国際学術誌「Journal of the American Chemical Society」に掲載されました。 

 京都大学化学研究所 鈴木慎二郎 博士後期課程学生、山田容子 教授らの研究グループは、同研究所 廣瀬崇至 准教授、慶應義塾大学理工学部 羽曾部卓 教授、酒井隼人 専任講師、国立研究開発法人物質・材料研究機構 林宏暢 主幹研究員らとの共同研究により、炭素環が7つ連なった「ヘプタセン」の誘導体(TIPS-Hep)を新たに合成し、その光物理的性質の解明に成功しました。
 ヘプタセンなどの高次アセンは、次世代の光電子材料として期待される一方、極めて不安定で溶解性が低く、その性質は謎に包まれていました。本研究では、光を利用して分子を合成する「光前駆体法」を用いた独自の分子設計により、ヘプタセン化合物の希薄溶液中室温での蛍光観測に成功し、孤立した分子が極めて短い励起寿命(~87ピコ秒)を持つことを見出しました。一方、薄膜中では、メゾスケールにおけるヘプタセン分子間の相互作用の制御により、1つの光子から2つのエネルギー(三重項励起状態)を生み出す「一重項分裂(SF)」が観測されました。ヘプタセン化合物において、最大75%の高効率で、相関三重項対(TT)を経由して三重項励起子(T1)を生成することを世界で初めて実証しました。本研究は、高次アセンの光物性の理解を深め、近赤外光を利用する光電子デバイス等の開発に向け、重要な設計指針を与えます。

 

 
図:溶液中(左)と薄膜中(右)におけるTIPS-Hepの励起ダイナミクス。溶液中では分子が独立して振る舞い蛍光を発するが、薄膜中では分子が凝集することで「一重項分裂(SF)」が促進されることを解明した。
 

●用語解説●

アセン:ベンゼン環が、直線状に連結した芳香族化合物の総称です。炭素原子どうしの結合によってπ(パイ)電子が分子全体に広がる構造(π共役系)を持っています。このため、光を吸収しやすく、また電気を流しやすい性質を持つことから、有機半導体の代表的な材料として広く研究されています。ベンゼン環が5連結したペンタセンは代表的な有機半導体であり、7つ連結したものがヘプタセンです。

 

光前駆体法:溶媒に可溶な光前駆体を十分精製したのち、470 nmの可視光を当てることで、2分子の一酸化炭素を放出しながらアセンへと定量的に変換する手法です。溶液、薄膜以外にも、固体状態、極低温、超高真空下などでも反応が進行するため、溶媒に溶けにくい化合物や不安定な化合物の高純度合成や、物性評価に用いることができます。

 

励起ダイナミクス:分子が光のエネルギーを吸収して「励起状態(エネルギーが高い状態)」になった後、そのエネルギーをどのように放出し、どのような別の状態へ変化していくかという一連の時間的な過程(プロセス)のことです。これらの変化は、フェムト秒(1000兆分の1秒)からナノ秒(10億分の1秒)という極めて短い時間で起こります。この「どのプロセスが、どのくらいの速さで、どのくらいの割合で起きるか」を解明することで、太陽電池の効率を上げたり、新しい発光材料を作ったりするための、材料設計の決定的な指針が得られます。本研究では、極めて不安定なヘプタセンにおいて、この一瞬のエネルギーの変化を超高速分光法という特殊な手法で捉えることに成功し、溶液中と薄膜中のダイナミクスは異なることを証明しました。

 

一重項分裂(シングレットフィッション、SF):通常、有機分子が1個の光子(光の粒)を吸収すると、1個の励起状態(励起子)しか生成されません。しかし、励起三重項のエネルギーが励起一重項のエネルギーの半分以下のとき、一重項分裂が起こることがあります。一重項分裂が起こると、1個の光子を吸収して生じた一重項励起状態の分子が、隣接する基底状態(エネルギーが低い状態)の分子と相互作用することで、2個の三重項励起状態へと分裂する現象です。現在の一般的なシリコン太陽電池には、「1個の光子からは最大1個の電子しか取り出せない」という理論的な変換効率の限界(ショックレー・クワイサー限界:約33%)があります。一重項分裂を利用すると、1個の光子から2個の電子を取り出せる可能性があるため、この限界を突破し、エネルギー変換効率を飛躍的に高める次世代技術として世界中で注目されています。

 
研究者のコメント
「ヘプタセンはベンゼン環が7つ直線状に連結したシンプルな構造を持ちますが、高い反応性によってその物性の多くが未開拓でした。本研究では予期していたSF特性や、思いもよらない発光特性を初めて実験的に示すことができたので、高次アセンの面白さをより一層伝えられる論文になりました。」(鈴木 慎二郎)
 
 
研究領域情報
有機元素化学