水素結合性有機薄膜トランジスタの開発 ―真の超分子デバイスへの第一歩―

公開日:2025年5月14日
本研究は、2025年3月7日に国際学術誌「Angew. Chem. Int. Ed.」にオンライン掲載されました。 

 京都大学化学研究所 山内光陽 助教、上野創 博士後期課程学生、山本恵太郎 助教、水畑吉行 准教授、山田容子 教授らの研究グループは、同研究所 塩谷暢貴 助教、松田大 特定研究員、長谷川健 教授との共同研究成果として、水素結合ネットワークを有する有機薄膜トランジスタを、溶液塗布プロセスを通じて開発することに成功しました。ファンデルワールス力と比較して、水素結合は結合方向が明確であり、精密な超分子構造制御を可能としますが、導入により溶媒への溶解性が著しく低下するためトランジスタへの応用例は限定されます。本研究では、高溶解性の熱前駆体を用いた “熱前駆体法” を取り入れ、難溶性の水素結合性テトラベンゾポルフィリンから構成されるトランジスタを初めて開発しました。アモルファスシリコンに匹敵する電荷移動度に加え、水素結合による優れた熱耐久性を実証しました。さらに、X線解析と多角入射分解分光法により、薄膜中の分子配向と2次元パッキング構造を解明しました。これらの成果は、超分子薄膜の構造解析に向けたロードマップを提示すると共に、未発展であった水素結合性トランジスタの設計指針を提供し、超分子デバイスの発展を後押しします。

 

本研究で用いた水素結合性有機半導体薄膜の作製手法と分子集合構造
 
1. 背景
 有機半導体は、π共役系有機分子の集合体から構成され、簡便な溶液塗布法により低コストでデバイス化が可能な有機機能性材料の代表格であり、国内外で盛んに研究が行われています。特に重要な特性は電荷移動度であり、その向上には、π共役系分子間の連続的かつ均一な分子間相互作用の制御、ならびに基板に対する分子配向の制御が不可欠です。これまでに、有機半導体として機能する多様な有機分子が開発されており、主にπ共役コア間の相互作用やアルキル鎖間相互作用などのファンデルワールス力を駆動力とした結晶性の半導体薄膜が実現されてきました。一方で、超分子化学において積極的に活用される水素結合は、ファンデルワールス力よりも強く指向性にも優れることから、より精密な構造制御を可能にします。しかしながら、水素結合は溶液中でも容易に形成されるため、有機半導体骨格に水素結合部位を導入すると、有機溶媒への溶解性が著しく低下し、溶液塗布法を用いた半導体薄膜の作製が困難になります。さらに、水素結合ネットワークの導入によって、電荷輸送経路を担うπ共役系有機分子の積層構造に悪影響を及ぼす可能性もあります。このような課題から、水素結合を活用したトランジスタの研究は、依然としてチャレンジングなテーマであると言えます。
 
2. 研究手法・成果
 本研究では、溶解性に優れる熱前駆体を用いた薄膜作製法(熱前駆体法)を取り入れることで、剛直かつ広いπ共役系をもつテトラベンゾポルフィリン(BP)にアミド基とアルキル鎖を導入した難溶性化合物を有機薄膜トランジスタへ応用することに成功しました。具体的には、かさ高い置換基を有するBPの可溶性前駆体を合成し、そのクロロホルム溶液を基板上にドロップキャストして乾燥することで、簡便に前駆体薄膜を作製しました。さらに、この前駆体薄膜を加熱することで多結晶性のBP薄膜へと熱変換され、金電極を蒸着することでトランジスタ素子を作製しました。単結晶とは異なり、多結晶性薄膜では電荷輸送を阻害する結晶境界が多数存在するため、電荷移動度の大幅な低下が懸念されていました。しかし、実際にはアモルファスシリコンに匹敵するホール移動度(約0.25 cm2 V-1 s-1)を示すことが明らかになりました。これは、結晶境界において水素結合ネットワークが「のり」のような役割を果たし、連続的な電荷輸送経路の確保に寄与したためと考察されます。さらに、この水素結合ネットワークにより、トランジスタ素子は空気中250℃での加熱後も、デバイス性能を維持する高い熱耐久性を示すことが実証されました。また、X線構造解析および多角入射分解分光法を用いることで、BP薄膜内での分子配向および分子間相互作用を詳細に解明しました。興味深いことに、水素結合によってBP分子がねじれて積層した「ツイスト構造」を取り、それが2次元方向に集積していることが明らかとなりました。この特異な集合構造が、比較的高いホール移動度の実現に寄与したと考えられます。有機半導体の高性能化には、集合構造を合理的に制御する戦略が不可欠ですが、現時点ではその確立は容易ではありません。本研究では、ファンデルワールス力よりも強い水素結合が支配的に働くことによって上述した集合構造を誘導できたことから、今後の有機半導体材料設計における構造制御の有力な指針を提供する成果であると言えます。
 
3. 波及効果、今後の予定
 本研究では、直接作製が困難な難溶性有機薄膜を、熱前駆体法を用いて間接的に形成する技術を活用することで、これまで未発展であった水素結合性トランジスタの研究を展開することができました。この手法は、他の難溶性化合物にも適応可能であり、超分子電子デバイス分野のさらなる発展・活性化に貢献することが期待されます。また本研究は、有機合成から構造解析、デバイス評価に至るまでを体系的に実施した内容であるため、超分子薄膜の構造解析に関する今後の指針(ロードマップ)としても活用できると考えられます。今後は、電荷移動度の最大化戦略を模索しつつ、光応答性や温度応答性など、外部刺激に対する機能性の開拓も進め、水素結合性有機半導体薄膜のポテンシャルを最大限に引き出していく予定です。
 
4. 研究プロジェクトについて
 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業・若手研究(22K14556, 24K17738)、学術変革領域研究(A)「メゾヒエラルキーの物質科学」(24H01714)、基盤研究B(22H02106, JP24K01496)、学術変革領域研究(A)「動的エキシトンの学理構築と機能開拓」(20H05833)、ならびに科学技術振興会 (JST)科学研究費助成事業における次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2110)の支援により実施されました。また、本研究は、京都大学化学研究所内の「化学研究所らしい融合的・開拓的研究」助成の支援により実施されました。
 
 

●用語解説●

水素結合水素原子が酸素や窒素などの電気陰性度の高い原子と、弱く引き合う非共有結合性の相互作用であり、他の非共有結合性の相互作用と比較して強く指向性があるため、分子同士が秩序だった集合構造を形成するのに適しています。

 

有機薄膜トランジスタπ共役系有機分子で構成される半導体薄膜を用いて作製したトランジスタデバイスであり、低コストでフレキシブルなエレクトロニクス材料として注目されています。

 

ファンデルワールス力分子間に働く非共有結合性の相互作用の一種であり、芳香族分子間の相互作用(π–π相互作用)やアルキル鎖間に相互作用などが挙げられます。主に、分子性結晶・集合体の形成において生じる相互作用です。

 

超分子有機分子が水素結合やπ–π相互作用など弱い分子間相互作用によって自発的に集合(自己集合)し、形成される分子集合体を指します。これらの相互作用を緻密に制御することで、溶液中ではカプセル、螺旋、シート、チューブ状など、多様なナノ構造・ナノ空間を構築することが可能です。一般には、溶液中で形成される構造体を超分子としてみなしますが、本研究では、薄膜中の水素結合ネットワークによって形成された集合構造も「超分子構造」として扱っています。

 

多角入射分解分光法(p-polarized Multiple-Angle Incidence Resolution Spectroscopy, pMAIRS)赤外分光法を基盤とした有機薄膜材料の構造解析手法の一つで、複数の入射角で偏光赤外光を照射することで、官能基の振動成分(垂直方向と平面内方向)を分離・定量的に評価できます。これにより、分子レベルでの詳細な構造情報を得ることができ、結晶性の低い高分子材料・超分子材料などの解析にも有効です。

 

研究者のコメント

「私の専門分野である超分子化学を有機半導体と有意義に融合させたいと考え、2年ほど前に本研究テーマを発案し、筆頭著者の上野氏とともに進めてきました。本研究の目的を達成するには、溶解性の問題、デバイス化への障壁、構造解析の困難さなど、解決すべき課題が多くありました。有難いことに、研究室内外の先生方と密に連携し、各分野の専門性を集結・相互作用させることで、念願の水素結合性トランジスタの実現に至ることができました。」(山内 光陽)

 
京都大学HP記事 [最新の研究成果を知る]