室温下でSiC中の単一スピン情報の電気的読み出しを実現 —高効率な電気的読み出しを実証し、量子デバイスの集積化に道拓く—
京都大学化学研究所 西川哲理 助教、森岡直也 准教授、水落憲和 教授、QST高崎量子技術基盤研究所量子機能創製研究センター 大島武 センター長(東北大学大学院工学研究科特任教授)、電力中央研究所エネルギートランスフォーメーション研究本部 土田秀一 研究参事らの共同研究グループは、4H型炭化ケイ素(SiC)結晶中の原子の抜け穴に存在する一つの電子スピンの情報を、光照射により発生する光電流の計測(PDMR法)によって、室温下で電気的に読み出すことに成功しました。
私達の生活をより快適・安全・安心にするための様々な次世代技術、例えば、半導体微細化技術の限界や電力消費の増大から従来のスーパーコンピュータに代わるコンピュータ、情報セキュリティー強化から盗聴不可能な暗号通信技術が、生命科学や新材料の探求から高精度・高感度なセンシング技術が要求されています。これらの技術を実現する量子デバイスの開発に向け、SiC結晶中のシリコン原子の抜け穴であるシリコン空孔が持つ電子スピンは、室温で状態の初期化・操作・読み出しが可能であることから注目を集めています。また、SiCは半導体材料としても優れているため、半導体集積回路と親和性の高い電気的なスピン読み出し技術を用いることで量子デバイスの小型化・集積化が期待されています。しかし、既存のシリコン空孔の電気的スピン読み出し技術は効率が低く、量子情報応用や高空間分解能な量子センサへの応用に不可欠な単一スピンの検出が困難でした。
本研究では電流検出素子の構造と動作条件を工夫してほぼ理想的な電荷検出効率を実現し、且つリーク電流を抑制することにより、単一シリコン空孔からの微弱なスピン信号の高効率な検出に成功しました。また、電流生成のための光照射パターンの制御により、光電流検出が既存の蛍光による検出(ODMR法)よりも優れた信号対雑音比を持つことを実証しました。これにより、室温動作が可能な集積SiC量子デバイスの実現が期待されます。
固体結晶の原子配列における不純物や抜け穴・位置ずれなどの原子レベルの欠陥は、その構造に応じて様々な特性を発現します。その中でも、室温で操作可能な電子スピンを有し、電子スピン状態の初期化・読み出しが可能な欠陥は、量子情報・量子通信・量子センサなどの量子技術分野への応用が期待されています。このような欠陥は、蛍光の強さを計測する手法(ODMR法)によってスピン情報の読み出しが行われてきましたが、大規模な光検出系を必要とせず小型・集積化が可能なスピン読み出し技術として、電気的な読み出し技術が重要です。ダイヤモンド中の窒素空孔(NV)中心3.4)やSiC中のシリコン空孔1.2)は、光照射によって発生する光電流の計測を用いたスピン状態の検出(PDMR法)が実証され、量子素子候補として注目されていました。理論的には、PDMR法では従来のODMR法と比べてスピン状態の読み出しにおける信号対雑音比(SNR)が高くなると予想されていました5)。しかし、実験的にはPDMR法のSNRはODMR法には及んでおらず、単一レベルでのシリコン空孔電子スピンの読み出しが困難となっていました。
本研究では、電力中央研究所が作製した高純度なSiC結晶に、QSTにて高度な条件制御下での電子線照射を実施、その後熱処理を施すことで、一個一個の識別可能なシリコン空孔を作製した試料を用いました。この試料上にPDMR検出のための電流捕集用電極と、シリコン空孔のスピン状態操作のためのラジオ波印加用アンテナを有したPDMRデバイスを作製しました(図1(a))。SiCは優れた半導体であるゆえに電流が流れやすく、1個のスピンからの微小な信号を計測するためにはリーク電流の低減が鍵となります。このデバイスでは、先行して単一スピンのPDMR検出が実現しているダイヤモンドでの研究3.4)とは異なり、ショットキー電極を用いることで、電極からデバイス内部へのリーク電流を抑制可能であり、且つ電極間距離と電圧印加条件の適切な設計により、ほぼ100 %の電流捕集効率を実現可能です6)。また本研究では、単一シリコン空孔からの光電流計測に基づいて、これまで正確に理解されていなかったシリコン空孔における光電流生成のダイナミクスを明らかにし、この結果に基づいて、スピン信号を高効率に観測するためのレーザー照射パターンの改良を行いました。
まず、作製したデバイスの評価を行いました。図1(b)に蛍光検出と光電流検出によるデバイス内部のイメージング結果を示します。蛍光検出において、図の中心Aに単一シリコン空孔が観察され、対応する位置に明瞭なスポット状の光電流像が観測できています。また光電流検出像では、蛍光検出では見られないスポット像(X)も観測されました。この欠陥の起源は未知ですが、蛍光検出像では観測されないSiC中の単一欠陥についても高感度な光電流検出が可能であることを示唆しています。
二段レーザーパルスを用いたPDMR法と従来のODMR法による状態読み出しのSNRの比較を図2(d)に示します。ODMR法によるSNRは理論限界である光ショットノイズに律速されている一方、PDMR法はその約1.7倍高いSNRを達成しました。更に、本研究で得られたPDMR法のSNRは、約3倍改善の余地があることがシミュレーションから示されました。
以上の実験結果から、高い電流捕集効率を有したデバイスと二段階レーザーパルスの組み合わせにより、SiC中の単一電子スピン状態のコヒーレントな電気的読み出しを実現し、PDMR法がODMR法よりも高い効率でスピン状態読み出しを行えることを実証しました。また、起源が未知の欠陥(スポットX)が光電流像として観測できたことから、シリコン空孔に限らないSiC中の様々な単一欠陥の高感度スピン状態検出がPDMR法により可能になると期待されます。
点欠陥の電子スピン状態読み出しの効率化は、量子情報素子や量子センサ等の実デバイス応用に向けて盛んに研究されてきました。特に、電気的読み出しは従来の光学的読み出しのような大規模な光検出系を必要としないことから、デバイスの集積化・小型化の観点から注目を集めています。今回、PDMR法による電気的読み出しがODMR法による光学的読み出しを越える読み出し効率を達成したことは、シリコン空孔に限らない、点欠陥を用いた室温動作可能な集積小型量子デバイスの実現に向けて重要な一歩です。今後の予定として、本研究で達成したPDMR法でのSNRは、周辺回路やレーザーパルスの最適化による改善が見込まれており、更なる高効率化を進めデバイス動作の実証に繋げたいと考えています。
本研究は、文科省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)(JPMXS0118067395)、日本学術振興会科学研究費(JP23K22796、JP21K20502、JP23K19120)、科学技術支援機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ(JPMJPR245C)、JST次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2110)、公益財団法人 村田学術振興・教育財団 研究助成、スピントロニクス学術研究基盤と連携ネットワーク、京都大学研究連携基盤 次世代研究者支援事業、京都大学ナノテクノロジーハブ拠点(文部科学省マテリアル先端リサーチインフラ事業)の支援を受けて行われました。
●用語解説●
光検出磁気共鳴(ODMR):点欠陥が発する蛍光強度が、電子スピン状態に応じて変化することを利用して、スピン状態を蛍光強度の変化から読み取る手法。シリコン空孔では、スピン状態ms=±3/2の時に蛍光強度が増加することを利用して磁気共鳴が観測される。
シリコン空孔:シリコン(Si)と炭素(C)からなる化合物半導体のSiC結晶中で、Si原子が一つ抜けて出来た空孔欠陥。負電荷を帯びた状態で電子スピンS=3/2、すなわちスピン四重項状態(ms=-3/2,-1/2,+1/2,+3/2)を取り、ゼロ磁場下においてもスピン状態ms=±1/2とms=±3/2でエネルギー準位が異なる(ゼロ磁場分裂)。また、静磁場を印加することで、ms=±1/2とms=±3/2のエネルギー準位に磁場強度に応じた分裂が生じる(ゼーマン分裂)。レーザー照射により、スピン状態はms=±1/2に初期化され、ms=+1/2とms=+3/2、あるいはms=-1/2とms=-3/2のエネルギー差に相当する周波数のラジオ波を印加することで、スピン状態の操作が可能となる。
光電流検出磁気共鳴(PDMR):点欠陥に高強度のレーザーを照射することで生じる光電流が、点欠陥の電子スピン状態に依存して変化することを利用し、スピン状態を光電流量の変化から読み取る手法。シリコン空孔では、スピン状態ms=±3/2の時に光電流量が増加することを本研究で明らかにした。印加するラジオ波周波数を変化させながら光電流量を測定することで磁気共鳴を電気的に観測可能となる。ODMRよりも高効率なスピン状態読み出しが可能とされてきたが、実証には至っていなかった。
信号対雑音比(SNR):信号読み出し効率を示す指標の一つで、信号の強度を信号の揺らぎの大きさ(雑音)で割った値。SNRが大きいほど高効率に信号を読み出すことが可能となる。
コヒーレンス:2つの状態が重ね合わされたときに、それらの位相(波のタイミング)が明確に定まっている状態 のこと。量子現象を応用に用いる上で欠かせない状態であり、単純にスピンの有無だけを検出するのではなく、コヒーレントな状態を読み出すことは非常に重要である。
Ramsey干渉:二つの状態をコヒーレントに重ね合わされた状態に置き、その状態が時間経過する間に蓄積する位相のずれを、干渉という現象を用いて精密に測定する方法。この信号を調べることで、エネルギー準位差(周波数)などの量子系の情報を正確に知ることができ、高感度な量子センシングなどに応用される。
ショットノイズ:光や電気の信号強度が、その量子性によって揺らぐことで生じる雑音であり、検出粒子数の平方根に比例する。他の雑音源がない理想的な場合、SNRはショットノイズによって制限される。