波として伝わる磁気振動の回転方向の制御と検出に成功 ―磁気の波の新たな自由度を開拓―
京都大学化学研究所 塩田陽一 准教授、小野輝男 教授らの研究グループは、産業技術総合研究所(以下、産総研)新原理コンピューティング研究センター 谷口知大 研究チーム長、名古屋大学大学院工学研究科 森山貴広 教授と共同で、二つの磁石の磁極が逆方向に結合した人工反強磁性体において、波として伝わる磁気振動(マグノン)の回転方向を励起マイクロ波の周波数で制御し、その回転方向を電気的に読み取ることに成功しました。
反強磁性体のマグノンは、右回りと左回りの二つの異なる回転モードが存在するため、マグノンに回転極性という新たな自由度を付加することが可能です。しかし、通常の反強磁性体の磁極は外場による制御が困難なことから、異なる回転極性を有するマグノンの生成・伝送・検出を一つのデバイスで実証した例はこれまでありませんでした。
本研究では、上下を白金(Pt)で挟んだ垂直磁化の人工反強磁性体を用いることで、励起マイクロ波の周波数によって選択的にマグノンの回転方向を制御し、伝搬したマグノンの回転方向をスピン流-電流変換現象を介して電気的に検出することに成功しました。この成果は、マグノンを利用したスピンデバイスに回転極性という新たな自由度を提供することになり、スピントロニクス研究分野の発展に大きく貢献することが期待されます。
スピントロニクスにおいてスピン角運動量の流れであるスピン流の制御は重要な要素です。磁性体において磁極の集団励起であるマグノンは、スピン流の担い手になりうることが知られており、電荷の移動を伴わずにスピン角運動量を運べるため、低消費電力なスピンデバイスへの応用が期待されています。一般的な強磁性体のマグノンは、磁場に対して右回りの回転モードしか存在しません。一方、二つの磁極が反対方向に結合した反強磁性体のマグノンは、右回りと左回りの回転モードが存在するため、マグノンに回転極性という新たな自由度を付加することが可能です。しかし、通常の反強磁性体の磁極は外場による制御が困難なことから、異なる回転極性を有するマグノンの生成・伝送・検出を一つのデバイスで実証した例はこれまでありませんでした。
本研究では、垂直磁化の磁性材料として鉄(Fe)とニッケル(Ni)の多層膜を用い、数原子層程度の非常に薄いルテニウム(Ru)非磁性層を介して、それぞれの磁性層の磁極が逆方向に結合した人工反強磁性体を用いました。通常の反強磁性体に比べて人工反強磁性体は、電気計測が可能なGHzオーダーのスピンダイナミクスを持ち、外部磁場によって共鳴周波数および磁化方向の制御が容易という特徴を有しています。また、人工反強磁性体の上下層にはスピン流-電流変換注が可能な白金(Pt)で構成された多層薄膜試料を用いました。この薄膜試料をホールバー形状に微細加工を施した後、ホールバー端子から離れた場所に高周波磁場によってマグノン励起を行うためのアンテナを作製しました(図1)。
また本研究で着目したのは、図2(b)(c)に示すように右回りと左回りの回転モードで二つの磁極の回転振幅が異なることです。より大きな磁極の回転振幅を持つ磁性層と接している非磁性層のスピン流-電流変換現象を介してマグノンを電気的に検出することが可能です。そのため、同符号のスピン流-電流変換効率を持つ白金(Pt)を人工反強磁性体の上下層に用いることで、マグノンの回転方向を効率的に検出できます。この原理に基づいて実験を行ったのが図2(d)の結果で、マイクロ波の励起周波数を13.6 GHzまたは18.0 GHzに切り替えると、伝播したマグノンの検出電圧の符号が変化しています。
本研究の実験は主に京都大学で実施しました。産総研の研究者は理論モデルを構築しデータ解析に重要な貢献がありました。名古屋大学の研究者は実験環境の整備およびデータの解釈に重要な貢献がありました。
今回の実証は、マグノンの回転極性という新たな自由度を開拓しました。これは光で例えると左円偏光・右円偏光に対応するため、反強磁性体のマグノンにも光と同様に「偏光」制御の自由度を追加することが可能であるため、これまで注目されてこなかったマグノンの潜在的なポテンシャルを引き出せます。また、今回の実験で用いた人工反強磁性体の薄膜は微細加工によるデバイス化が容易、磁化配置を外部磁場によって容易に制御可能、といった特徴の他に材料や膜厚によって自由な物性設計が可能という通常の反強磁性体にはない特徴を有しています。これらを生かしてマグノントランジスタやマグノンによる磁壁駆動デバイスといった低消費電力で多機能なスピンデバイスへの応用が期待されます。
本研究の一部は、科学研究費補助金「基盤研究(B) JP22H01936, JP23K23204」、「国際共同研究加速基金(海外連携研究) JP23KK0093」、「学術変革領域研究(A) JP24H02233」、「基盤研究(S) JP20H05665」、「特別推進研究 JP24H00007」、公益財団法人 村田学術振興・教育財団「研究助成」、文部科学省「次世代 X-NICS 半導体創生拠点形成事業 JPJ011438」、京都大学化学研究所国際共同利用・共同研究拠点などの助成を受けて行われました。
●用語解説●
人工反強磁性体:非磁性層を介して二つの磁性層の磁極が逆方向に結合した人工的な構造を持つ反強磁性体。非磁性層の膜厚に依存して、平行または反平行に結合させることができ、本研究では反平行に結合させるようにルテニウムの膜厚を設定した。
マグノン:スピン(微小な磁石)の歳差運動が空間的にずれて波のように伝わっていく現象(スピン波)を量子力学的に取り扱ったもの。
回転極性:回転運動に対する極性のこと。共線型の反強磁性体では、異なる二つの磁極の回転方向がともに右回りまたは左回りに回転する共鳴モードが存在する。
スピントロニクス:電子が持つ電気的な性質(電荷)と磁気的な性質(スピン)を組み合わせて、既存のエレクトロニクスにない高性能・高機能なデバイスの実現を目指す研究分野。代表例として、ハードディスクの読み取りヘッド、不揮発性磁気メモリ MRAM、磁気センサーなどに用いられるトンネル磁気抵抗素子が挙げられる。
スピン流:電荷の流れである電流に対して、スピン角運動量の流れのこと。
垂直磁化:磁性体薄膜の磁化の向きやすい方向が、薄膜の面直方向に揃った状態。
波として伝わる磁気振動の回転方向の制御と検出に成功―磁気の波の新たな自由度を開拓―