寒冷域と温暖域ではウイルスの遺伝子組成が異なる―巨大ウイルスの環境適応―

本研究は、2023年10月12日に国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。 

 巨大ウイルスは数百個から千個を超える遺伝子をゲノムに保持する複雑なウイルスです。孟令杰 京都大学化学研究所 特定研究員、緒方博之 同教授らの研究グループは、真核微生物を宿主とする海洋巨大ウイルスの全球分布とウイルスが保持する遺伝子の種類を解析しました。その結果、巨大ウイルスが進化の過程で幾度となく寒冷な海域に進出し、遺伝子組成を変化させることにより適応してきた可能性を明らかにしました。
 特殊な環境に生息する生物は、特有の遺伝子を保持することにより環境に適応することがあります。例えば、寒冷域の魚類は、不凍タンパク質の遺伝子を保持し凍結から身を守ります。一方ウイルスの場合、その増殖サイクルは宿主に依存しています。そんなウイルスが新たな環境に進出する際、どのような変化が起こるのでしょう。研究グループは、全球規模の海洋微生物ゲノムデータに基づき、海洋巨大ウイルスの分布を調べ、極域(寒冷域)にいるウイルスと、中低緯度域(温暖域)にいるウイルスの比較ゲノム解析を行いました。その結果、巨大ウイルスは、その進化の過程で繰り返し温暖域から寒冷域へと、或いは逆に、寒冷域から温暖域へと生息域を変えてきたことが推定されました。興味深いことに、寒冷域のウイルスが特有に保持する遺伝子が多数あり、こうした遺伝子の一部は、栄養塩の取り込みや、ウイルス粒子表面構造の修飾に関わる遺伝子でした。巨大ウイルスは新たな遺伝子を獲得することにより特殊な環境やそこに生息する宿主に適応してきたと研究グループは提唱しています。

 

 
1. 背景
 ウイルスは「環境」に適応するのか、それとも「宿主」に適応するのか研究者の間でもしばしば議論になります。研究グループらは、両者に適応する必要があるとの仮説を立てました。ウイルスは宿主に適応する必要があるのは自明でしょう。一方、環境が変われば宿主はその環境に適応する必要があり、その結果、宿主細胞の生理的条件や分子組成も変化するでしょう。例えば、宿主とウイルスが共に必要とする元素としてリンがあります。リンの供給が少ない環境にいるウイルスは、リンを環境から獲得するための遺伝子を保持しています。従って、ウイルスが生息環境を変えるとき、新たな環境における宿主に適応すると同時に、その環境変化によりもたらされる宿主細胞の生理学的・生物学的な条件(「微環境」)にも適応しなくてはいけないと考えられます。
 研究グループは、遺伝子を多数保持し、真核微生物に感染する海洋巨大ウイルスが寒冷域である極域に適応するために、ゲノムの中にコードされている遺伝子の種類を変える必要があるのかを調査しました。
 
2. 研究手法・成果
 研究グループは、Tara Oceans 海洋プランクトン探査による大規模海洋メタゲノムデータから得られた海洋巨大ウイルスのゲノムデータと真核微生物のゲノムデータを利用しました。
 まず、巨大ウイルスと真核微生物の相互作用ネットワークを計算機により推定し、ネットワークの全体構造が温度と強い相関を示すことを確認しました(図1)。このことは、極域(寒冷域)と非極域(温暖域)では、そこに生息するウイルスと宿主の群集組成が大きく異なることを意味しています。

 

図1 : 巨大ウイルスと真核微生物のネットワーク
 
 次に、進化系統樹を作成し、寒冷域に頻出するウイルスと温暖域に頻出するウイルスが系統樹上でどのように分布しているかを調べました。すると、巨大ウイルスの複数の系統で、寒冷域型ウイルスと温暖域型ウイルスが混在していることが分かりました(図2)。このことから、進化の過程でウイルスの生息域が寒冷域と温暖域の間を幾度も変化してきたことが予想されます。理論的な計算によると、温暖域から寒冷域への適応が118回、寒冷域から温暖域への適応が95回起こったことが推定されました。
 

図2 : 巨大ウイルスの系統樹上における寒冷域型(青)及び温暖域型(赤)の分布
 
 では、こうした適応に伴いゲノムにコードされる遺伝子の種類は変化するのでしょうか。研究グループは、京都大学が開発するKEGG データベースを利用し、ウイルス遺伝子の機能を予測しました。そして、それぞれの種類の遺伝子がどのような温度域・緯度域に分布しているかをプロットしました。すると、合計1591種類の遺伝子機能のうち、314種類(19.7%)の機能が寒冷域かつ高緯度域に分布していることが明らかになりました(図3)。これが極域特有のウイルス遺伝子機能と言えます。ウイルスのゲノム単位でみると、寒冷域型ウイルスのゲノムにコードされる遺伝子のうち16%が、こうした極域特有の遺伝子でした。
 

図3 : 巨大ウイルスに見出される遺伝子機能(KO)の分布(温度がX軸、緯度がY軸)
 
 さて、どのようなウイルス遺伝子が極域に特有なのでしょうか。例えば、窒素源となる硝酸塩を細胞に取り込むための輸送タンパク質遺伝子が極域特有のウイルス遺伝子です。硝酸塩は、北極域ではしばしば制限要因になる傾向にあります。そうした環境では、宿主にとってもウイルスにとっても、外部から硝酸塩を効率よく細胞内に取り込む必要があるのかもしれません。
 他には、不飽和脂肪酸合成経路の遺伝子、セラミドグルコシルトランスフェラーゼの遺伝子、N-グリカン合成経路の遺伝子など、細胞膜構造やウイルス粒子表面構造修飾に関わる遺伝子がありました。低温に適応する細菌では、細胞膜における不飽和脂肪酸の割合が高いことが重要であることが知られています。従って、これらの遺伝子もウイルスの低温適応と関係しているのかもしれません。また、統計的には有意ではありませんが、不凍タンパク質をコードするウイルスの割合が、温暖域型ウイルスに比べて、寒冷域型ウイルスにおいて2.5倍ほど高いという結果も得られました。
 

図4 : 巨大ウイルス及び真核微生物における寒冷域特異的な遺伝子機能(KO)の割合
 
 研究グループは同様の解析を真核微生物でも行いました。その結果、真核微生物のゲノムにコードされる11,988種類の遺伝子のうち523種類の遺伝子が低温域(極域)に特有の遺伝子でした。この割合は4.4%ですので、上述したウイルスにおける極域関連遺伝子の割合(19.7%)よりも小さい値です(図4)。ウイルスゲノムの遺伝子組成の方が、真核微生物に比べて温度変化に対して進化的に敏感に応答する可能性が考えられます。
 以上の結果から、巨大ウイルスは新たな遺伝子機能を獲得することにより特殊な環境やそこに生息する宿主に適応してきたと研究グループは提唱しています。
 
3. 波及効果、今後の予定
 巨大ウイルスが何故多くの遺伝子を保持しているのか依然不明です。本研究結果から、巨大ウイルスの保持する遺伝子の一部は、環境適応に関わっている可能性が示唆されました。こうした環境適応が極域以外の環境、例えば深海や土壌でも起こりえるのか。また、環境適応に遺伝子が如何なる機構で寄与しているのかを明らかする必要があると研究グループは考えています。
 今回の研究から、機能未知の遺伝子の中にも極域に特有な遺伝子が多数発見されました。こうした遺伝子の生物学的な意義はまだ不明ですが、今後の研究により、こうした遺伝子の中から有用な機能が発見されることが期待されます。
 
4. 研究プロジェクトについて
 本研究は、科学研究費補助金・基盤研究(A)(B)(22H00384、18H02279:研究代表者 緒方博之)、京都大学化学研究所国際共同利用・共同研究拠点、京都大学連携研究基盤グローバル生存基盤展開ユニットにより支援を受けました。
 

●用語解説●

巨大ウイルス核細胞質ウイルス門(Nucleocytoviricota門)とミルスウイルス門(Mirusviricota門)のいずれかに属するウイルスで、遺伝子を数百から千個以上保持しているウイルスです。厳密な定義はありませんが、ウイルス粒子径が0.2µm以上、ゲノム長が30万塩基対以上のウイルスを指す場合もあります。

 

Tara Oceans 海洋プランクトン探査科学探査船タラ号による、タラ号海洋プロジェクト2009-2013。日・欧・米の協働による海洋微生物探査で、日本からは京都大学のグループが参画しています。

 

KEGG データベース京都大学化学研究所で開発されている分子生物学の統合データベース。本研究ではKEGG オーソログ(KO)と呼ばれる遺伝子の機能カタログを利用して、ウイルス遺伝子の機能を推定しました。

 

 
本学ウェブサイト(最新の研究成果を知る)の掲載記事
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2023-10-13