テラヘルツ波とスピン振動の高効率な結合による巨大スピン応答の観測 ―超高速スピントロニクス応用への期待―

本研究成果は、2023年3月31日に英国の国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。 

 京都大学化学研究所 廣理英基 准教授、金光義彦 教授、章振亜 博士後期課程学生、森山貴広 准教授、関口文哉 特定助教、同大工学研究科 向井佑 特定助教、陰山洋 教授、同大理学研究科 田中耕一郎 教授、東京大学大学院総合文化研究科 古谷峻介 特任研究員、千葉大学大学院理学研究院 佐藤正寛 教授、東京工業大学理学院 佐藤琢哉 教授、同大科学技術創成研究院フロンティア材料研究所 山本隆文 准教授らの研究グループは、入射するテラヘルツ磁場強度を物質内部で約200倍増強させる技術を開発し、スピンを大振幅で励起し、スピン運動の非線形性の観測に成功しました。近年、次世代コンピューティングや情報処理技術の候補として、従来の電子デバイスで用いられる電子に加えスピンを情報担体とする手法が検討されています。このため、物質中のスピンの運動を光によって効率的に励起・制御する方法やそのスピン運動の理解が重要な課題になっています。特に、テラヘルツ周波数帯で高速に振動するスピンを持つ反強磁性体は高速なデバイス動作において有望であると考えられ、テラヘルツ波励起によるスピン制御が求められていました。本研究では、螺旋状の金属メタマテリアル構造を反強磁性体HoFeO3に作製し、試料中に最大で2テスラのテラヘルツ磁場を発生させ、巨大なスピン振動による非線形な応答を観測しました。今回開発した高効率にテラヘルツ波を捕集し巨大な磁化変化を誘起する方法は、スピンダイナミクスの理解を深め、超高速な磁化スイッチ、テラヘルツ波/スピン変換機など、超高速スピントロニクス技術へ応用されることが期待されます。

 

図 テラヘルツ磁場パルスによるスピン振動の励起により、スピン振動の非線形な周波数成分(第二高調波成分(青色)、第三高調波成分(紫色))が生じる様子を示す概念図。

 
 
1. 背景
 情報通信機器が扱う膨大な情報量に伴い情報処理・通信速度の更なる向上が必要であり、従来のGHz(~109 Hz)を超えてポスト5Gと呼ばれる通信周波数であるテラヘルツ帯域(~1012 Hz)を用いた高速な通信技術の構築が求められている。近年、超高速レーザーやダイオード技術をベースにしたテラヘルツ波発信・検出機の普及に伴い、テラヘルツ波帯の通信技術開発、高性能な分光器、セキュリティ用のテラヘルツ技術は社会実装されつつある。今後、通信技術と歩みを共にする持続的な社会の発展には、テラヘルツ帯域の電磁波利用による高速化に加えて、情報ストレージや不揮発メモリにおける低消費電力化・高密度化が極めて重要な課題となる。スピントロニクスによる情報ストレージ・情報通信関連技術は、これらの情報ストレージや不揮発性メモリにおける低消費電力化・高密度化に大いに貢献し、デジタル情報化社会を支える技術であり中核をなす要素である。スピントロニクス材料としてこれまで広く利用されている強磁性体はGHz帯域で動作し、テラヘルツ帯周波数には応答できない。一方で、希土類フェライトに代表される反強磁性体はそのスピン集団運動モード(反強磁性共鳴)がテラヘルツ帯域に達し、反強磁性体はその磁気特性がテラヘルツ波における超高周波に対しても応答可能である。漏れ磁場が少なく素子の集積化に適した材料としても注目されている。このような背景から、テラヘルツ波による反強磁性体のスピン制御は非常に注目度の高い研究テーマである。さらに、近年のテラヘルツ波技術の発展により、基礎科学的観点から、高強度テラヘルツ波で磁性体を駆動すると如何なる非線形非平衡現象が発現可能か、という問いにも関心が集まっている。しかし、これまで反強磁性体のスピンを大振幅で共鳴的に励起する方法は無く、高強度テラヘルツ波によってスピンがどのような運動をするのかは未解明であった。
 
2. 研究手法・成果
   本研究では、これまでに実現した世界最高強度のテラヘルツ発生技術と新たに考案した螺旋状のメタマテリアル金属マイクロ共振器を融合することにより、最大2.1テスラの高強度テラヘルツ磁場パルスを反強磁性体の一種であるHoFeO3内部に発生できる技術を考案した。生成した磁場パルスは、HoFeO3の鉄イオンが担うスピンに力を及ぼし、スピンと電荷(軌道)やフォノンとの結合を必要とすることなく直接スピン歳差運動を誘起することができる。駆動されるスピン運動は、一般に巨視的磁化(秩序変数)の変化として記述され、また光の偏光の変化(ファラデー回転信号)として観測できることが知られている。今回、励起に用いるテラヘルツ磁場強度が増加するにつれて、ファラデー回転信号の波形が非対称で歪んだ形状になることを観測した。この非対称な信号の由来は、隣り合うスピンの和として記述される強磁性ベクトルMだけでなく、これまでの弱強度励起の実験では無視されてきた、スピンの差として表される反強磁性ベクトルLによってもたらされることを明らかにした。さらに、ファラデー回転信号の周波数スペクトルには、強磁性ベクトルMの基準振動(0.58 THz)に対し2倍(1.16 THz)、3倍(1.74 THz)の周波数に対応する非線形な振動を意味する明瞭なピーク構造が含まれることがわかった。従来の研究でも2倍波のスピン振動が観測される例はあったが、理論的に反強磁性ベクトルLの基準振動も強磁性ベクトルMの2倍の周波数を持つため、非線形性を示す十分な証拠はなかった。今回、3倍波の非線形信号を観測できたことにより、強磁性ベクトルMの振動の非線形性が初めて明らかとなった。またジャロシンスキー・守谷相互作用によって反転対称性の破れたスピン系の磁気秩序と対応する系のエネルギーが高周波成分発生の選択則を決定することを理論的に示した。
 
3. 波及効果、今後の予定
   本研究は、開発した金属共振器構造が極めて効率的にテラヘルツ電磁波の磁場成分を増強し、巨大な磁化変化をもたらすスピン制御が可能であることを示したものである。また、未解明であったスピン系におけるスピンの運動と高次高調波の発生機構の関係解明に大きな進展をもたらした。光や電場を用いた物質の制御は、新たな物質の機能を開拓し様々なデバイスへと応用が行われている。今回テスラ級のテラヘルツ磁場が発生しスピン制御を実現したことは、今後の物性研究にテラヘルツ強磁場が新たに加わることを意味し、基礎研究に新たな実験方法を提供する。また、応用面では、テラヘルツ波による高効率なスピン波励起に関する研究が発展し、反強磁性体が持つ超高周波(テラヘルツ帯域)の磁気共鳴周波数を積極的に利用した「テラヘルツスピントロニクス」の学理が構築され、スピントロニクスの動作原理を利用した次世代のテラヘルツ波基盤技術の創出も期待される。
 
4. 研究プロジェクトについて
   本研究は、JSPS 科研費・特別推進研究(JP19H05465)、新学術領域研究(JP19H05824)、基盤研究(B)(JP21H01842)の助成⾦の⽀援を受けて⾏われました。
 
5. 螺旋金属メタマテリアル構造に関連する知財情報
   特願2022-090139, 発明者:廣理英基, 金光義彦, 章振亜, 発明の名称:積層体, 出願人:国立大学法人京都大学, 出願年:2022年6月2日
 

●用語解説●

反強磁性体隣り合うスピン(原子磁気モーメント)が反平行に規則正しく配列し、全体の磁化が0、あるいは小さい磁性体のこと。

 

テラヘルツ波テラヘルツ波とは光波と電波の中間の周波数帯に位置する電磁波のことである。1テラヘルツは光子のエネルギーにすると約4ミリエレクトロンボルト(meV)、周期にすると1ピコ秒に相当する。

 

メタマテリアル電磁波(光)の波長よりも小さなミクロ構造が刻まれた物質群。ミクロ構造の形状に依存して、通常の物質とは異なる電磁波応答を発現させられる。

 

フォノン固体を形成する原子の振動である格子振動を量子化してエネルギーをもつ粒子として扱ったもの。

 

ファラデー回転磁場あるいは物質中の磁化によって、物質に入射した直線偏光の偏光面が回転する現象。

 

ジャロシンスキー・守谷相互作用磁性体中の隣接するスピン間の相互作用の一種で、隣接スピン間の相対角度を90度にしようとする効果を持つ。