ジャイロトロンを用いた金属磁性薄膜のサブTHz磁化ダイナミクス評価に成功 ―テラヘルツスピンデバイスへ向けて―
テラヘルツ波はbeyond 5Gなどの大容量・高速通信を担う周波数帯の電磁波です。反強磁性体やフェリ磁性体はその共鳴周波数がテラヘルツ付近にあるため、テラヘルツ波に応答する磁性材料として近年注目されています。京都大学化学研究所 船田晋作 博士課程学生、森山貴広 同准教授、塩田陽一 同助教、小野輝男 同教授らの研究グループは、福井大学遠赤外領域開発研究センター 石川裕也 助教、林哉汰 同博士課程学生、佐野巴則 同修士課程学生、藤井裕 同准教授、福井大学工学部応用物理学科 光藤誠太郎 教授、東北大学金属材料研究所 木俣基 准教授らの研究グループと共同で、サブテラヘルツ帯において、これまで困難であった金属磁性薄膜中の反強磁性磁化ダイナミクスを電気的に検出することに成功しました。
反強磁性体やフェリ磁性体のテラヘルツ応答性の評価は古くから行われていますが、そのほとんどがバルク結晶を対象としたもので、薄膜を対象とした評価はほとんど行われていませんでした。テラヘルツで動作する反強磁性体・フェリ磁性体を用いたスピンデバイスは、近年発展が目覚ましい情報通信処理分野や超高速エレクトロニクスにおける次世代デバイスとして期待されており、デバイス応用に資する薄膜材料のテラヘルツ特性評価が急務になっています。本成果は、高出力テラヘルツ光源であるジャイロトロンを利用してサブテラヘルツ帯における磁性薄膜の磁化ダイナミクスの測定手法を世界で初めて実証したものであり、これまで困難とされていた磁性薄膜のテラヘルツ評価技術の先駆けとなるものです。
テラヘルツ波はbeyond 5Gなどの大容量・高速通信を担う周波数帯の電磁波です。反強磁性体注やフェリ磁性体はその磁気共鳴周波数がテラヘルツ付近にあるため、テラヘルツ波に応答する磁性体として注目されています。近年様々なテラヘルツ材料が探索されていますが、磁性体を利用するメリットとしてスピントロニクスとの親和性が挙げられます。磁性体に内在するスピン自由度とテラヘルツ波との相互作用を利用することで、テラヘルツ波を自在に制御できる“テラヘルツ“スピンデバイス応用への展開が期待できます。
スピントロニクスの基礎となる効果の多くは磁性体の表面・界面で起こる遍歴スピンの蓄積現象であり、このスピン蓄積を利用して磁気共鳴や磁化ダイナミクスを制御することができます。その制御効率は一般に【(界面積)÷(磁性体の体積)】に比例することが知られています。つまり、磁性体の膜厚に反比例し、薄膜において制御効率は大きくなります。すなわち、 “テラヘルツ“スピンデバイス応用には薄膜材料が望ましいということが分かります。
反強磁性体やフェリ磁性体のテラヘルツ応答性の評価は古くから行われていますが、そのほとんどがバルク結晶を対象としたもので、薄膜を対象とした評価はほとんど行われていませんでした。従来の透過吸収法(図1(a))では、その吸収強度が試料の厚さに比例するため、ナノオーダーの薄膜の測定には不向きでした。そこで、本研究では磁性体/非磁性体多層膜において、磁気共鳴に起因して生じる電圧を測定することで、ナノ薄膜の評価を行いました。
図1 : (a) 従来の透過吸収法 (b) 本研究で用いた手法
本研究で用いる測定原理(図1(b))では、検出可能な電圧(>100 nV)信号を得るためには数十mW以上の強度のテラヘルツ連続波が必要であることが計算上分かっていました。一般に、“テラヘルツギャップ”と称されるように、テラヘルツ帯における高出力光源は限られています。本研究では、テラヘルツ帯で高出力発振が可能なジャイロトロンを用いて、本測定原理の実証を試みました。ジャイロトロンは従来、核融合炉における遠隔加熱装置としての用途が主であり、本測定のような磁性薄膜の高周波測定用途で利用された例はこれまでにありませんでした。
測定試料は、フェリ磁性体であるGdCo合金と非磁性金属の多層薄膜(GdxCo1-x 20nm/ Ta 3nmあるいはGdxCo1-x 20nm/ Pt 3nm)を用いました。GdCo合金は、サブテラヘルツ~テラヘルツ帯の反強磁性的な磁気共鳴モードを有し、その共鳴周波数が強く温度依存することが知られている材料です。
図2に示したように、ジャイロトロンから放射される周波数154 GHz、強度500 mWの電磁波を薄膜試料に照射しました。試料はクライオスタット中に設置し、温度や外部磁場を変化させて磁気共鳴において試料端に生じる電圧を測定しました。
図2 : ジャイロトロンを用いた測定手法の模式図
図3は本測定で得られた共鳴スペクトルです。GdCo合金の共鳴条件の温度依存性から見積もられる磁場において1~2μV程度のDC電圧の変化(★印および△印)が見られていることがわかります。本測定で得られた共鳴磁場や共鳴線幅の温度依存性を詳しく解析することで、GdCo合金薄膜の共鳴モードの掌性に依存して発生するDC電圧に違いがあることや、共鳴線幅がGdCo合金の角運動量補償温度の周辺で大きくなることが分かりました。
本成果は、ジャイロトロンを利用して、サブテラヘルツ帯におけるフェリ磁性体GcCo合金薄膜の磁化ダイナミクスの測定・評価を世界で初めて実証したものであり、これまで困難とされていた薄膜磁性体のテラヘルツ評価技術の先駆けとなるものです。
図3 : 各温度での共鳴スペクトル
本研究では154GHzの電磁波を発振するジャイロトロンを用いましたが、一般にジャイロトロンの発振周波数の上限は1THz程度参考文献1です。ジャイロトロンの発振周波数を適切に選ぶことでサブテラヘルツ~テラヘルツ帯において本測定手法が利用可能です。テラヘルツで動作する反強磁性体スピンデバイスは、近年発展が目覚ましい情報通信処理分野や超高速エレクトロニクスにおける次世代デバイスとして期待されています。反強磁性体やフェリ磁性体はそのテラヘルツ帯の磁気応答性が注目されていますが、デバイス応用等に重要となる薄膜のテラヘルツ特性についてはまだほとんど知られていません。本測定手法を利用して、これら未知の領域を実験的に探索することが可能になります。
本研究の一部は、科研研究費補助金「基盤研究(A)(JP21H04562)」、JST-さきがけ(JPMJPR20B9)、スピントロニクス学術研究基盤と連携ネットワーク拠点、福井大学遠赤外領域開発研究センター国内共同研究の助成を受けて行われました。
【1】T. Idehara and S. P. Sabchevski, Gyrotrons for High-Power Terahertz Science and Technology at FIR UF, J. Infrared. Millim. Terahertz Waves 38, 62-86 (2017).
●用語解説●
beyond5G:移動体向けのモバイル通信規格「5G」の次の世代の通信規格。通信周波数としては30G~300GHz、所謂サブテラヘルツ~テラヘルツ帯が有望とされています。
反強磁性体:反強磁性体は隣り合う磁気モーメントの大きさが等しく、それぞれ反平行に結合している磁性体です。一方の磁気モーメントはもう一方の磁気モーメントから強い交換結合による交換磁場を受けるため、これらの集団的な磁気モーメントの運動(=磁化ダイナミクス)の共鳴はテラヘルツ周波数に達します。
フェリ磁性体:フェリ磁性体は隣り合う磁気モーメントが反平行に結合していますが、それぞれの磁気モーメントの大きさが異なる磁性体です。反強磁性体と同様に強い交換結合により共鳴周波数はテラヘルツに達します。
スピントロニクス:電子のスピン自由度を利用することで、従来のエレクトロニクスに無い新機能・高性能素子の実現を目指す研究分野です。
ジャイロトロン:ジャイロトロンは、数十GHzからTHz(遠赤外・テラヘルツ)領域で動作する高出力電磁波源です。この周波数帯において、ジャイロトロンを超える高出力装置は無く、様々な研究分野で応用が期待されています。
共鳴モードの掌性:一般に、反強磁性体やフェリ磁性体には2つ以上の共鳴モードが存在し、磁化が右回りや左回りに回転を起こす共鳴モードが存在します。この「右回り」あるいは「左回り」のことを掌性と呼びます。
角運動量補償温度:フェリ磁性体の角運動量のベクトル和がゼロになる温度です。本研究で用いたGdCo合金ではGdとCoの磁気モーメントが反平行に結合しているため、角運動量ベクトルも反平行に結合しています。GdとCoの角運動量はそれぞれ異なる温度依存性によって変化し、角運動量の大きさが等しくなる温度ではそのベクトル和がゼロになります。これを角運動量補償温度といいます。