サブミリメートルの長距離にも渡る水素の表面拡散を観測 -活性水素の利用に新しい道-

本成果は、2023年1月10日に国際学術誌「Journal of the American Chemical Society」にオンライン掲載されました。 

 京都大学化学研究所の菅大介 准教授、鎌田太郎 修士課程学生(当時)、島川祐一 教授の研究グループと京都大学大学院工学研究科の田中庸裕 教授、京都工芸繊維大学材料化学系の細川三郎 准教授、湯村尚史 教授は共同で、パラジウム(Pd)金属上で活性化された水素が0.6ミリメートル(600マイクロメートル)にも渡って酸化物表面を長距離拡散することを明らかにしました。
   現在、水素社会の実現に向けて、水素の制御を可能にする現象の理解や材料の開発が極めて重要になっています。酸化物に担持された金属触媒上において生成した活性水素が酸化物表面上へと拡散する現象である水素スピルオーバーは、1964年に発見されて以来、様々な反応や物質開発に利用されてきました。しかしながら、水素はその軽さゆえに実験的に観測が難しいこともあって、水素スピルオーバーに関連する現象に対する理解は定性的なままであり、活性水素の拡散距離やその支配因子など、いまだ理解されていない点が多く残されていました。
 研究グループでは、ペロブスカイト型鉄酸化物SrFeOx(x~2.8)のエピタキシャル薄膜をモデル触媒担体として、水素スピルオーバーが触媒担体に与える影響を調べ、Pd金属触媒から600マイクロメートルの広範囲においてSrFeOx担体が還元されることを見出しました。この結果は、水素スピルオーバーによって生成された活性水素が担体表面上を長距離拡散し担体を還元したためと理解できます。さらに、SrFeOx担体表面における水素拡散では、Feの価数が変化し、その際のエネルギー変化が265kJ/molと非常に大きいことが、長距離表面拡散の起源であることも明らかにしました。本成果は、これまで難しいと考えられてきた「水素スピルオーバーの制御」に向けた重要な情報であり、さらには活性水素の新しい利用法の開発につながる可能性があります。

 
 
 
1. 背景
 現在、水素社会の実現に向けて、水素の制御を可能にする現象の理解や材料の開発は重要な課題です。酸化物に担持された金属触媒上において生成した活性水素が酸化物表面上へと拡散する現象である水素スピルオーバーは、1964年に発見されて以来、様々な反応や物質開発に利用されてきました。しかしながら、水素はその軽さゆえに実験的に観測が難しいこともあって、水素スピルオーバーに関連する現象は定性的に理解されるにとどまり、活性水素の拡散距離やその支配因子など、いまだ理解されていない点も多く残されていました。
 
2. 研究手法・成果
 研究チームでは、ペロブスカイト構造を持つ鉄酸化物SrFeOx(x~2.8)に注目しました。この物質においては、酸素量の減少に応じて電気抵抗率が増大することが知られています。SrFeOx(x~2.8)のエピタキシャル薄膜を触媒担体とし、担体表面の一部にパラジウム(Pd)を堆積して、モデル触媒系を構築しました。このPd/SrFeOxモデルにおいて、水素スピルオーバーが触媒担体に与える影響を調べたところ、Pd触媒から600マイクロメートルの広範囲に渡ってSrFeOx担体の電気抵抗の上昇が見られました(下図)。また担体表面を有機薄膜で覆った場合には、担体の電気抵抗が増加しないことも確認しました。これらの実験結果を総合すると、水素スピルオーバーによって生成された活性水素が担体表面上を長距離拡散し担体を還元したために、Pd触媒周辺のSrFeOx担体の電気抵抗が上昇したと理解できます。また密度汎関数法 (DFT計算)から、SrFeOx担体表面における水素拡散では、Feの価数が変化し、その際のエネルギー変化が265 kJ/molと非常に大きく、一方で水素の表面拡散のエネルギー障壁が49 kJ/molと低いことが、長距離表面拡散の起源であることも明らかになりました。

 
 
3. 波及効果、今後の予定
 本研究で明らかになった、「水素スピルオーバーによって生成された活性水素の拡散」と「触媒担体の価数変化に伴うエネルギー」との相関は、これまで難しいと考えられてきた「水素スピルオーバーの制御」に指針を与えるものです。触媒担体の価数(不)安定性を制御することで、活性水素の反応性向上や新しい反応機構の開発が可能になると期待できます。

 
4. 研究プロジェクトについて
 本研究は科学研究費補助金、文部科学省 元素戦略プロジェクト研究拠点形成型「京都大学実験と理論計算科学のインタープレイによる触媒・電池の元素戦略研究拠点」(JPMXP0112101003)、JSPS研究拠点形成事業(A)、京都大学化学研究所国際共同利用・共同研究拠点の支援によって行われました。
 

●用語解説●

活性水素原子状の水素または水素ラジカル。分子上の水素とは異なり、原子状の水素は触媒担体に供与可能な電子を有する。そのため原子状の水素は様々な反応を誘起する(反応活性である)。

 

エピタキシャル薄膜土台となる単結晶基板の結晶面に合わせて原子を配列させて成長した薄膜。エピタキシャル薄膜は、原子レベルで定義された表面を有するために、モデル物質として扱うことができる。

 

DFT計算波動関数の代わりに、基底状態の電子の確率密度(電子密度)を求めることにより、エネルギーやその他の物理量を計算する手法。理論や計算法も整備され、少ない計算コストで電子相関を取り入れた計算が可能であるため、分子や固体表面の計算に広く応用されている。