鉄触媒によるアザビシクロアルケン類のエナンチオ選択的カルボメタル化反応の開発

本研究成果は2021年7月5日付で、英国王立化学会誌「Chemical Communications」のオンライン版に発表され、同誌57巻57号のインサイドカバーに採用されました。
京都大学のLaksmikanta Adak前特定助教(現Indian Institute of Engineering Science and Technology, Shibpur, India, Assistant Professor)、神将吉氏(現第一三共)、伊藤慎庫博士(現Nanyang Technological University, Singapore,  Assistant Professor)、磯崎勝弘助教と中村正治教授らグループは、鉄触媒を用いるアザビシクロアルケン類のエナンチオ選択的カルボメタル化反応により、複数の不斉炭素を有する光学活性なアルキル亜鉛種を高収率、高立体選択的に合成することに成功しました。得られたアルキル亜鉛種はさらなる合成反応に応用可能です。
 
背景
 生体内のキラル分子(アミノ酸やデオキシリボース等)は一方のエナンチオマーのみ(L-アミノ酸やD-デオキシリボース)から構成されていることが知られています。この性質のため、キラル医薬品はそれぞれのエナンチオマーが異なる薬理作用を示すことが多く、不要なエナンチオマーが重篤な副作用を引き起こす場合があります。このような副作用を抑制するためにもキラル分子のエナンチオ選択的な合成は重要であり、有機合成化学の重要な分野の一つです。
 
概要
 カルボメタル化反応は、炭素-炭素結合と炭素-金属結合を同時に形成できる、強力な有機合成反応の一つです。特に遷移金属触媒を用いたアザビシクロアルケン類に対するエナンチオ選択的カルボメタル化反応は、光学活性な天然物の合成を達成するうえで有用な方法論になりえるため、様々な遷移金属触媒による反応が開発されてきました。しかし、ロジウムやパラジウムを触媒とする従来の方法では開環反応も進行してしまうため、縮環構造を維持した化合物を合成することは困難でした。本研究グループは、鉄触媒を用いることでこの問題を解決し、縮環構造を維持したままエナンチオ選択的カルボメタル化反応を達成しました(図1)。
 
図1:エナンチオ選択的カルボメタル化反応の比較(従来法:パラジウム、ロジウム触媒等。本報告:鉄触媒)
 
 アザビシクロ[2.2.1]ヘプタン骨格は天然の生理活性アルカロイドに見られる骨格であり、アザビシクロアルケン類を基質としたカルボメタル化反応により容易に合成できるものと考えられます。しかし前述の通り、縮環構造を維持したままエナンチオ選択的カルボメタル化反応を達成することは困難でした。我々は触媒として鉄塩および(S,S)-chiraphosを用いることで、縮環構造を維持したままエナンチオ選択的カルボメタル化反応が達成できることを見出しました(図2)。本反応のエナンチオ選択性はアリール亜鉛反応剤の立体障害により大きく影響を受け、立体障害が比較的小さいp-およびm-トリル亜鉛を用いた場合のエナンチオ選択性はそれぞれ81% ee、85% eeであったのに対し、立体障害の大きいo-トリル亜鉛を用いた場合のエナンチオ選択性は99% eeまで向上しました。また、本反応では芳香族複素環であるピリジル基を導入することもでき、基質としてベンゼン環が縮環していないものを用いることができることも確認できました。
 
図2:鉄触媒によるエナンチオ選択的カルボメタル化反応
 
 本反応の生成物がアルキル亜鉛種であることは、求電子材で捕捉することで確認しました。すなわち、重水素で捕捉することで目的物が99% ee、>99% deで得られ、ヨウ素で捕捉することで目的物が99% ee、94% deで得られました(図3)。これらの結果は、カルボメタル化生成物であるアルキル亜鉛種が高いエナンチオ選択性かつジアスレテオ選択性で生成していることを示しています。
 
図3:アルキル亜鉛種の求電子剤による捕捉
 
展望
 反応により、様々なアリール基および置換基を有するアザビシクロ[2.2.1]ヘプタンの合成が容易に合成できるようになりました。生理活性アルカロイドであるエピバチジンと同様の構造であることから、エピバチジンに類する強力な鎮痛作用を持つ非オピオイド系化合物の発見につながることが期待されます。
 
研究プロジェクトについて
本研究は、文部科学省大学間連携事業「統合物質創成化学研究推進機構」、総務省次世代最先端NEXTプログラム、科学技術振興機構CREST(1102545)、ALCA、日本学術振興会研究拠点形成事業「革新的触媒・機能分子創製のための元素機能攻究」、科学研究補助金 基盤研究(B)(No. 20H02740)、特別研究員制度(Nos. 24・02790 and 24・02338)、および京都大学化学研究所の国際共同利用・共同研究拠点の補助を受けて行われました。
 

●用語解説●

キラル分子:自身の鏡像と重ね合わせることができない性質を持つ分子のこと。キラルはギリシア語で「手」を意味し、手はキラルなものの一例である(右手は、その鏡像である左手と重ね合わせることができない)。

 

エナンチオ選択的:キラル分子のうち、一方の化合物(エナンチオマー)を優先的に合成すること。

 

カルボメタル化反応:炭素-金属結合をもつ分子種が、アルケンないしはアルキンと反応することにより、新たに炭素-炭素結合と炭素-金属結合を形成させる反応。二つの結合形成が同時に達成されるととともに、新たに生成した炭素-金属結合はさらなる有機合成反応(カルボメタル化反応やクロスカップリング反応等)に利用可能である。

 

アルカロイド:生体内で合成される、窒素原子を1つ以上含む有機化合物の総称。薬理活性を持つ化合物も多く知られており、医薬品そのものや医薬品原料に利用されることもある。

 

ee:enantiomeric excess = 鏡像異性体過剰率。多い方のエナンチオマーの百分率から、少ない方の百分率を減算した値で表される。

 

de:diastereomeric excess = ジアステレオマー過剰率。多い方のジアステレオマーの百分率から、少ない方の百分率を減算した値で表される。3種類以上のジアステレオマーが存在する場合はdr (diastereomer ratio)が用いられる。