テラヘルツ周波数帯の真空量子揺らぎと格子振動の超強結合状態の実現 ―量子光を駆動力とする新規物性制御への挑戦―

本成果は、2021年7月27日(現地時刻)に米国物理学会の学術誌「Physical Review Research」にオンライン公開されました。

 京都大学化学研究所の廣理英基 准教授、金光義彦 教授、章振亜 修士課程学生(理学研究科)、関口文哉 特定助教らの研究グループは、スプリットリング型共振器によってテラヘルツ周波数帯電磁波の真空量子揺らぎとハライドペロブスカイト半導体CH3NH3PbI3中のフォノン(格子振動)を強く結合させることにより、フォノンの周波数を大きく変調できることを発見しました。これまで、光共振器を用いると原子ガスや半導体中の電子準位と電磁波の量子揺らぎが強く結合することは知られていましたが、テラヘルツ周波数帯に位置する固体中のフォノンは電磁波との相互作用が弱く、強い結合状態の実現が難しいことが知られていました。本研究では、金で作製したスプリットリング型共振器の一部をナノサイズ化することにより、真空中の量子揺らぎがもたらす電磁波の電場成分が600倍に増強され、これによってフォノンの共鳴周波数が分裂する真空ラビ分裂を観測することに成功しました。この真空ラビ分裂の周波数幅に比例する結合定数ηは0.24に達し、超強結合状態を示すことを世界で初めて明らかにしました。今回の光の量子揺らぎにより物質中のフォノンを操作する技術は、固体物性の新たな制御法を提示し、全く新しい光電子デバイス開発につながることが期待されます。

 
図:(a)スプリットリング共振器にある電磁波の真空量子揺らぎの模式図と(b)共振器のギャップ長Gを小さくしたときにフォノンの真空ラビ分裂ΩRの増大を示す実験結果。
 
1. 背景
 原子や半導体などにおける電子系はそのエネルギー差に共鳴するコヒーレントな光と相互作用し、光の衣を纏うことでエネルギーが分裂した新しい状態(ドレスト状態)を形成することが知られています。このとき観測される周波数(エネルギー)分裂はラビ分裂と呼ばれ、物質と相互作用する電磁場がゼロ点振動場(いわゆる“真空”)である場合は特に『真空ラビ分裂』と呼ばれます。通常、真空との相互作用は極めて微弱なため真空ラビ分裂は観測されませんが、光共振器を用いて相互作用する電磁場を増強するとこのようなエネルギーの分裂(強結合状態)が観測されます。この手法は原子や固体中の電子準位の制御に適用されてきましたが、テラヘルツ周波数帯に位置する固体中のフォノンは電磁波との結合の強さの指標である双極子モーメントが小さく、強い結合状態の実現が難しいことが知られていました。フォノンと電子系との相互作用が強い固体材料では、光の量子揺らぎによる物質中のフォノン駆動を引き起こすことができれば、レーザーなどの強い外部光源を用いることなく物性を制御でき、新たなデバイス開発にもつながることが期待されます。
 
2. 研究手法・成果
 本研究では、太陽電池材料として近年最も期待されているCH3NH3PbI3において、1 THz付近の低いエネルギー領域にフォノンモードが存在することに着目しました。このフォノンモードとスプリットリング型光共振器のキャビティーモードを強く結合させ、フォノンの真空ラビ分裂をテラヘルツ分光によって調べました。その結果、スプリットリング型共振器のギャップ長𝐺(図(a)参照)を100 nmまで小さくすることにより、真空電磁場の電場成分を600倍に増強させることが可能となり、フォノンの共鳴周波数が分裂する真空ラビ分裂を観測することに成功しました(図(b)参照)。この真空ラビ分裂の周波数幅に比例する結合定数ηは、超強結合状態を示す0.24に達することを世界で初めて実現しました。さらに、CH3NH3PbI3の複素誘電率をテラヘルツ時間領域分光法によって精密に測定し、これらの値からテラヘルツ周波数帯の真空量子揺らぎの電場振幅の大きさを求めることにも成功しました。
 
3. 波及効果、今後の予定
 「光による物性制御と、新奇な物性の創発」は光物性物理分野の究極の目標の一つです。これまで、高強度な光(レーザー)による物性制御では、光から物質へのエネルギー移行に伴う熱の発生や破壊現象の誘発、あるいは散逸によるコヒーレンスの消失等の問題があり、現象の観測や応用へ向けて解決すべき課題があることが知られています。一方で、本研究では、テラヘルツ(THz)周波数帯の「電磁場の量子揺らぎ」(ゼロ点振動場)を、金属メタマテリアル共振器(キャビティ)を通して閉じ込め、物質中のフォノン(格子振動)との強結合状態を実現するという新たな視点で物性の制御を目指しています。電磁場の量子揺らぎを利用した物理系の制御では実励起を伴わない仮想的な過程が支配的となり、レーザー駆動の場合に付随していた熱の発生や破壊現象、コヒーレンスの消失という問題を克服し、全く新しい物理現象やデバイス開発につながる可能性があります。
 
4. 研究プロジェクトについて
本研究は、下記の助成⾦の⽀援を受けて⾏われました。
● JSPS 科研費・特別推進研究(JP19H05465)
● JSPS 科研費・基盤研究(B)(JP21H01842)
 

●用語解説●

スプリットリング型共振器:金属などで作製され、形状によって電磁波の電場や磁場に対する応答を変化させることができるメタマテリアル共振器の一種。

 

テラヘルツ周波数帯:光波と電波の中間の周波数帯に位置する電磁波帯のことであり、1テラヘルツは光子のエネルギーにすると約4ミリエレクトロンボルト(meV)、周期にすると1ピコ秒(=1ps=10-12秒=1兆分の1秒)に相当する。フォノン、超電導ギャップ、分子振動など物性を特徴づける様々な励起モードが存在する。

 

電磁波の真空量子揺らぎ:量子力学的に導かれる最も低いエネルギーを持つ電磁場モードであり、レーザーや照明光などの外部からの電磁波や光が存在しない暗闇においても存在する電磁場の基底状態。

 

フォノン:量子論に従って表される結晶格子中などの振動。

 

結合定数ηラビ分裂幅とキャビティ周波数の比で与えられる結合の強度を示す指標。η>0.1で超強結合状態として定義される。