世界最速の逆項間交差を示す有機EL発光材料の設計・開発に成功

本成果は、2020年8月4日に国際学術雑誌「Nature Photonics」にオンライン版で公開されました。 

 京都大学化学研究所 梶弘典 教授、和田啓幹 同博士課程学生、中川博道 同特任研究員、脇坂安晃 同修士課程学生、松本壮馬 同学部学生のグループは、有機分子において、極めて速い逆項間交差(reverse intersystem crossing, RISC)を実現できる分子設計指針の構築に成功しました。また、この新たな設計指針に基づき、TpAT-tFFOと名付けた、優れた新規分子を開発することにも成功しました。
 従来、軽い原子のみを用いた有機分子においては重原子効果が期待できないため、RISCは起こらないか、起こったとしてもその速度は他の競合する過程と比べて遅いものでした。しかし、TpAT-tFFOは軽原子のみから構成されるにもかかわらず、107 s−1(1秒間に1000万回)を超える極めて速いRISCを達成しました。このRISCは、水素、炭素、窒素のみからなる有機分子において、現在、世界最速です。本研究は、近年実用化が活発になっている有機ELデバイスなどの高特性化に有用な指針を与えるとともに、生体応用や酸素センサーなどへの応用も期待されます。

 
1. 背景
 有機ELデバイスは、スマートフォンなどのディスプレイとして、さらに最近では車載用としての実用化も大きく花開きつつあります。そのデバイス内では電気が励起子に変換され、その励起子が様々な色を放つ光になります。励起子には、一重項(S1)と三重項(T1)の2種があり、S1:T1 = 25%:75%の割合で生成されます。通常の蛍光材料では、光に変換できるのはS1のみでした。その後、いわゆる、りん光を用いて、T1から光への変換も可能となりましたが、そのためにはイリジウム等の希少元素が必須でした。これらの問題を解決すべく、熱活性化遅延蛍光(Thermally Activated Delayed Fluorescence, TADF)材料が開発されました。TADF材料は、T1から一度S1を経由させ発光を得ます。T1からS1への遷移は逆項間交差(reverse intersystem crossing, RISC)と呼ばれ、2010年前後にT1→S1のエネルギー準位の差(ΔEST)を非常に小さくすることにより、TADFを得ることが可能となりました。しかし、RISCの遷移はスピン反転を伴う必要があるため、その速度は他の競合する過程と比較して遅いという課題が残されていました。
 
2. 研究手法・成果
1)新たな分子設計指針
 本研究で、我々は、重原子効果を用いず、軽元素のみからなる有機分子において、RISCを高速化する分子設計指針を確立するとともに、それを実証することにも成功しました。上述のT1S1遷移で、スピン反転を容易にする別軌道Tnを介在させ、さらにそのエネルギー準位もS1T1と一致させることにより、T1TnS1の遷移を可能とし、かつ高速にできるであろうという発想から、新たな分子設計指針「tilted Face-to-Face alignment with Optimal distance (略称:tFFO)」を開発しました(図1)。このtFFO指針では、ドナーとアクセプターを適切な距離に配置することによりS1T1Tn3準位を一致させることを可能とし、また、ドナーとアクセプターを少し傾けることによりスピン反転を加速しています。今回、さらにこの分子設計指針を実証するため、足場としてトリプチセン(Tp)、ドナーとしてアクリダン(A)、アクセプターとしてトリアジン(T)を用いた、tFFO指針に基づく、「TpAT-tFFO」と名付けた新たな分子を設計しました(2)
 

1 (a) 平行に配したドナーとアクセプターの模式図。(b) (a)におけるドナー/アクセプター距離を変化させた場合のS1T1Tnのエネルギー準位。4.7Å3つの準位が一致していることがわかる。

 

2 TpAT-tFFOの構造。ドナーとアクセプターはFace-to-Faceの配置から10°傾いている。

 
2)極めて速い逆項間交差の実証
 表1に実験で得られた室温での各速度定数を示します。TpAT-tFFOは、水素、炭素、窒素のみから構成されており、今回得られた逆項間交差の速度定数kRISC = 1.2×107 s-1という値は、このような軽原子で構成されているすべての有機材料系の中で、現在、世界最高値です。このような、重原子効果が期待されない中でも、精密な分子設計によって逆項間交差速度を当初目標であった107オーダーまで高められた意義は大きいと考えています。
 通常、RISCは関連の過程の中で最も遅いため、RISC律速過程となります。しかし、TpAT-tFFOは驚くべきことに、スピン反転を伴うkRISCが、スピン反転を伴わないS1からの輻射および無輻射緩和の速度定数 よりも大きい、極めてユニークな系になっています(1)。また、項間交差の速度定数 kISCを超えることは原理上不可能ですが、kISC と同じオーダーとなっています。これらの結果は、tFFOと名付けた今回の分子設計が確かに有用であることを実証しています。
 
表1. 実験的に得られたTpAT-tFFOの各速度定数。単位は s−1, , kISC, kRISCはそれぞれS1→S0 (輻射)、S1→S0 (無輻射)、S1→T1 (ISC)、T1→S1(RISC)に対応。スピン反転を伴うISCRISCが、スピン反転を伴わない輻射、無輻射遷移よりも速くなっていることがわかる(通常はkRISCが最も小さい)。
 
3. 波及効果、今後の予定
有機ELでの展開
 現在、広く有機ELの実用化が進んでいますが、今後、屋外用途では特に高輝度が必要となります。そのためには、低輝度域では高い効率を発揮していても、高輝度域では効率の低下が起こるという問題(efficiency roll-off)を解決する必要があります。また、有機EL素子の寿命も長くすることが必要です。我々が実現した高速なRISCを輻射緩和の速い発光分子と組み合わせたり、また、高速なRISCと高速な輻射緩和を両立できるような新たな分子を今後開発することにより、T1励起子の迅速な光への変換が、ひいては、高輝度域での効率向上が可能となります。また、有機EL素子の長寿命化といった実用面でも、今後大きく寄与するものと考えています。

高い酸素sensitivityを有する発光材料 ~酸素センサー、生体応用への展開~
 TpAT-tFFOは、固体膜では、酸素によらず高い発光を示す一方で、溶液中では、発光効率が酸素に極めて鋭敏という特長を有します(これは、ISCRISCS1からの輻射、無輻射緩和より速いことに起因します)。酸素があればほとんど光らず酸素がなければ良く光るという極めて高い選択性があるため、酸素センサーとしての応用も期待されます。例えば、癌細胞等の腫瘍は低酸素環境にあるため、腫瘍近傍のみを選択的に光らせる、等の応用が可能になると期待されます。
 
4. 研究プロジェクトについて
 本研究は、JSPS科研費 17H01231(基盤研究(A))、17J09631(特別研究員奨励費)の助成を受けたものです。また、京都大学化学研究所 国際共同利用・共同研究拠点のスーパーコンピュータシステムおよび800MHz NMRをはじめとする各種NMR装置を利用しました。
 

●用語解説●

逆項間交差(reverse intersystem crossing, RISC):正孔と電子がペアになったものを励起子と呼びます。励起子には一重項励起子と三重項励起子の2種があり、三重項から一重項への遷移を逆項間交差(RISC)と呼びます。一重項励起子からは蛍光が得られる(この過程を輻射緩和あるいは輻射失活と呼びます)一方、三重項励起子は特殊な状況を除けば、通常、熱として失活してしまいます。しかし、RISCと一重項からの輻射緩和を組み合わせれば、三重項励起子を一重項経由で光に変換することが可能となります。この場合、通常、RISCが遅く律速過程になるため、この高速化は極めて重要となります。

 

重原子効果:電子遷移の前後においてスピンの向き(角運動量)は保存されている必要があり、反転することはできません。しかし、軌道角運動量の変化が伴えば、スピンの向きを変えることができます。この時、スピンと軌道が相互作用するため、スピン軌道相互作用といいます。また、原子が重くなるほどその軌道角運動量は大きくなり、スピン軌道相互作用も大きくなり、その結果、スピン反転しやすくなります。これを重原子効果と呼びます。本研究では、重原子を使わずに、スピン反転を可能としています。

 

軽原子:分野によって定義が異なりますが、ここでは重原子効果が期待できない原子という意味で用いています。周期表の第一周期のみでは有機化合物が構成できないため、第二周期までを含めたものが有機化合物における最も軽い元素群となります。

 

有機EL:電界印加により生じる発光をエレクトロルミネッセンス(EL)といいます。特に、有機物質が発光する場合、有機ELと呼ばれます。

 

励起子、一重項、三重項:有機EL素子においては、一方の電極から正孔が、もう一方の電極から電子が注入されますが、それらが出会い、ペアになったものを励起子と呼びます。励起子には一重項励起子と三重項励起子の2種があり、有機ELの中で、電気は一重項励起子25%と三重項励起子75%に変換されます。三重項励起子は特殊な状況を除けば、通常、熱として失活してしまうため、三重項励起子の光への変換、特に高速な変換は、有機ELの高効率化に極めて重要です。

 

熱活性化遅延蛍光(Thermally Activated Delayed Fluorescence, TADF)材料通常起こらない三重項励起子から一重項励起子への変換を経由して発光する材料。熱により活性化され、また、通常の蛍光材料よりも長い蛍光寿命を示すため、熱活性化型遅延蛍光材料と呼ばれます。内閣府によって主導された日本学術振興会 最先端研究開発支援プログラム(Funding Program for World-Leading Innovative R&D on Science and Technology, FIRST)の中で、九州大学の安達千波矢教授らにより実現され、その後、大きく花開き、有機ELにおける新たな潮流を生むことになりました。FIRSTプログラムの極めて大きな成果の一つです。その高いポテンシャルのために、有機ELの発光材料として最近特に注目され、基礎的および応用的研究が活発に進められています。

 

ドナー、アクセプター:ドナー(電子ドナー)は、電子を他に与える性質を持ちます。アクセプター(電子アクセプター)は、逆に電子を他から受け取りやすい性質を持ちます。これらを組み合わせると、ドナーからアクセプターに電子が移る傾向を持ちます。その性質に基づいた様々な基礎および応用研究が進められています。

 

律速過程:連続した一連の過程の中で、最も遅い過程を律速過程(あるいは律速段階)と言います。全体を速くするためには、この過程を速くすることが必須です。TADFでは、これまでRISCが律速過程であったため、我々は、その高速化が特に重要と考え、本研究成果を得ました。