テラヘルツ帯・反強磁性体磁化ダイナミクスによるスピン流変換を実証
―テラヘルツスピントロニクスへ筋道―

本研究成果は、2020年2月4日(現地時間)に米国の科学誌「Physical Review B: Rapid Communications」にオンライン公開されました。 

 京都大学化学研究所の森山貴広准教授、小野輝男教授らの研究グループは、岐阜大学工学部の林兼輔博士課程学生、山田啓介助教、嶋睦宏教授、大矢豊教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校物理学科のYaroslav Tserkovnyak教授らの研究グループと共同で、テラヘルツ帯の反強磁性共鳴によるスピンポンピング効果(磁化ダイナミクスからスピン流への変換現象)を実証しました。これまでスピンポンピング効果は、強磁性体におけるギガヘルツ帯の磁化ダイナミクスに付随して観測されていましたが、テラヘルツ帯の磁化ダイナミクスを有する反強磁性体では観測されていませんでした。本研究では、反強磁性体である酸化ニッケル中に重金属(白金やパラジウム)粒子を様々な割合で分散させたグラニュラー構造物質((NiO)1-xMHx、MH = Pt, Pd)のテラヘルツ透過吸収測定を行い、その共鳴スペクトル線幅の変化からスピンポンピング効果を実証し、その多寡を見積もりました。本成果は、テラヘルツ帯においても、磁化ダイナミクスからスピン流への変換現象を利用できることを示唆するものです。今後、反強磁性体を利用した、テラヘルツ帯で動作可能なスピントロニクスデバイスへの応用が期待されます。

 
概要
 テラヘルツ光・電磁波の利用は将来の大容量通信やセンシング技術を担う重要技術として,近年注目を浴びています。特に、ポスト5Gにおける通信周波数はテラヘルツ帯域が想定されており、これらの周波数帯に対応するデバイスの開発・創製が早急に望まれています。ギガヘルツ帯に共鳴周波数を持つ強磁性体は従来のマイクロ波デバイスに多用されています。しかしながら、テラヘルツ帯においてはほとんど応答しないため、これらのデバイス応用には強磁性体は不向きです。一方で、反強磁性体における磁気共鳴(反強磁性共鳴)周波数は交換結合に起因する交換磁場に比例するため、強磁性体に比べて圧倒的に高くなり、テラヘルツ帯に至ることが知られています(図1)。また、近年様々なテラヘルツ材料が提案されていますが、反強磁性体を利用するメリットとしてスピントロニクスとの親和性が挙げられます。反強磁性体に内在するスピン自由度とテラヘルツ電磁波との相互作用を利用することで、新規な “テラヘルツ”スピントロニクスデバイスへと展開できる可能性を秘めています。このような魅力的な可能性があるにも関わらずテラヘルツスピントロニクスを見据えた反強磁性ダイナミクスの実験的研究はほとんどありませんでした。
 
図1. (a) 強磁性磁化ダイナミクスと(b)反強磁性磁化ダイナミクスの概念図
 
 本研究では、1THz付近に共鳴周波数を有する反強磁性体・酸化ニッケル(NiO)に着目し、反強磁性磁化ダイナミクスからスピン流への変換現象(スピンポンピング効果)について調査しました。まず、酸化ニッケル中に重金属(白金やパラジウム)粒子を様々な割合で分散させたグラニュラー構造物質((NiO)1-xMHx、MH = Pt, Pd)を焼結法により作製しました。これらの試料に対して、図2(a)に示したようなテラヘルツ透過吸収測定を周波数ドメインにおいて行いました。この試料系におけるスピンポンピング効果の理論概念図を図2(b)に示します。NiOの反強磁性磁化ダイナミクスにより、スピン流が生成され、重金属粒子(Pt, Pd)に注入されて、重金属中にスピン蓄積が起こります。これらの重金属はスピン軌道相互作用が強いためのほとんどは散逸し、残った僅かなスピン蓄積によりスピン流の逆流が起こります。反強磁性磁化ダイナミクスのダンピング定数はの差、すなわち重金属でのスピン散逸の大きさに比例して増加することが理論的に知られています。つまり、グラニュラー物質中の重金属の割合を増加させてスピン散逸が増加するに従いNiOの磁化ダイナミクスのダンピング定数は大きくなることが予想できます。
 
図2. (a)テラヘルツ分光の模式図 (b)反強磁性磁化ダイナミクスによるスピンポンピング効果の理論概念図
 
 一般に、反強磁性磁化ダイナミクスのダンピング定数は、反強磁性共鳴のスペクトル線幅から見積もることができます。テラヘルツ透過吸収測定から得られた(NiO)1-xPtxの共鳴スペクトルを図3に示します。ちょうど1THzにNiOの反強磁性共鳴による吸収ピークを観測しました。また、共鳴周波数はPtの組成比xに因らず一定であるのに対して、共鳴スペクトル線幅はxの増加に従って大きくなっていることが分かりました。これは、スピンポンピング効果の理論予想と一致しており、確かにテラヘルツ帯の反強磁性スピンダイナミクスにおいてもスピンポンピング効果が起こることを実証した結果です。さらに、図3(b)に示したスペクトル線幅およびダンピング定数のx依存性から、スピンポンピング効果の多寡を決定するパラメータであるスピンミキシングコンダクタンスを求めたところ、PtとPdそれぞれにおいて12nm −2 and 5nm−2という値が得られました。これらは、強磁性体におけるスピンポンピング効果と同程度の大きな値です。
 本成果は、反強磁性共鳴を利用したテラヘルツ帯におけるスピンポンピング効果(磁化ダイナミクスからスピン流への変換現象)を世界に先駆けて実証したものであり、反強磁性磁化ダイナミクスとスピン自由度の相互作用の一端を明らかにしました。
 
図3. (a) (NiO)1-xPtxの共鳴スペクトル (b)スペクトル線幅およびダンピング定数の重金属組成x依存性
 
波及効果・今後の予定
 近年、反強磁性体の特質を積極的に利用した反強磁性スピントロニクスの研究が盛んに行われています。様々な興味深いスピン物性が明らかになっており、反強磁性体を用いたスピンメモリデバイスなども提案されています[参考文献]。本成果で実証した反強磁性ダイナミクスによるスピンポンピング効果は、様々な形で発現する磁化ダイナミクスと電子スピンの相互作用のあくまで一端ですが、テラヘルツデバイスにおける反強磁性体の可能性を示した重要な成果です。今後は、反強磁性体に内在するスピン自由度とテラヘルツ電磁波との相互作用を積極的に利用した新規な“テラヘルツ”スピントロニクスへと展開していきます。
 
研究プロジェクトについて
 本研究の一部は、科研研究費補助金「特別推進研究」、「若手研究(A)」、「新学術領域研究:ナノスピン変換科学」、スピントロニクス学術研究基盤連携ネットワークの助成を受けて行われました。
 

●用語解説●

交換結合:電子の軌道の重なりにより、磁気モーメントを担う電子スピン間に作用する非常に強い結合のことです。強磁性体の場合、交換結合は隣り合う磁気モーメントを平行に揃えます。反強磁性体の場合は隣り合う磁気モーメントを反平行に揃えるように働いています。この結合エネルギーを仮想的に磁場に変換したものを交換磁場と呼びます。反強磁性体NiOの場合1000テスラにも達します。

 

スピントロニクス:電子のスピン自由度を利用することで、従来のエレクトロニクスに無い新機能・高性能素子の実現を目指す研究分野です。

 

スピン軌道相互作用:電子の軌道角運動量と電子のスピンとの相互作用。電子スピンの流れであるスピン流が散逸される要因となります。

 

反強磁性スピントロニクス:反強磁性体の外部磁場耐性や超高速ダイナミクス、材料群の豊富さを積極的に生かして、超高密度・超高速スピントロニクス素子等の新規デバイスを目指した研究分野。近年、反強磁性体スピントロニクスの研究が国内外問わず盛んにおこなわれています。

 
<参考文献>
V. Baltz, A. Manchon, M. Tsoi, T. Moriyama, T. Ono, and Y. Tserkovnyak, Antiferromagnetic spintronics, Review of Modern Physics 90, 015005 (2018).