北太平洋における海水中の鉄の化学形と分布を解明
-鉄の海盆規模の供給源と現存量-

本成果は、2019812日に国際学術誌「Scientific Reports」にオンライン公開されました。
 京都大学化学研究所 鄭臨潔助教、宗林由樹同教授は、独自に開発した多元素一括分析法を用いて、海水中の全可溶態鉄(tdFe)、溶存態鉄(dFe)、および置換活性粒子態鉄(lpFe)の濃度の北太平洋における鉛直断面分布をはじめて明らかにしました。その結果、lpFeはtdFeの約7割を占め、置換活性粒子態アルミニウム(lpAl)と強い相関があり、陸源物質の供給に支配されていることを見い出しました。また、北太平洋におけるtdFeの現存量を620億キログラムと推定しました。
 Feは地殻中の主要成分ですが、酸素を含むpH8の現代の海水中ではきわめて微量な成分です。この原因は、海水中のFeが水酸化鉄として沈殿し、また粒子に吸着・除去されやすいからです。一方、Feは海洋生物にとって必須の栄養元素です。そのため海水中Feについて多くの研究が報告されてきましたが、Feの海洋生物地球化学の理解はまだ不完全です。本研究の結果は国際共同研究計画GEOTRACESの一環であり、海水中Feの研究に大きく貢献するものです。
 
本研究の研究海域と試料採取点
 
1. 背景
 海洋における鉄(Fe)の分布は、その海洋内部サイクル、および供給と除去のメカニズムをあきらかにする上で重要です。2000年代から国際共同研究計画GEOTRACES(International Study of the Marine Biogeochemical Cycles of Trace Elements and Their Isotopes)が始動しました。この計画は、Feを含む海水中微量元素の地球規模の分布を明らかにしようとしています。
 Feは上部地殻に平均濃度39 g/kg(地殻1キログラム中に39グラム)で豊富に含まれます。しかし、酸素を含むpH8の現代の海水では、海水1キログラムあたりに10億分の1 molレベルでしか含まれず、極めて微量です。過去20年の研究で、Feは世界の海洋表面積の約50%において植物プランクトンの成長の制限元素であることがあきらかにされました。Feは他の栄養元素と同様に表層で植物プランクトンに取り込まれ、深層で沈降粒子から再生されます。加えて、Feは海洋の水柱全体で粒子によって吸着・除去(スキャベンジ)され、さらに海底熱水系や大陸棚堆積物内で起こる還元反応によって供給されるため、Feの海洋循環はたいへん複雑です。また、これまではおもに溶存態鉄(dFe)の濃度分布が調べられてきました。しかし、海水中には粒子態鉄(pFe)が多く存在し、dFeとpFeの相互作用があり、さらにpFeの一部は直接生物に利用されるので、pFeに関する情報もきわめて重要です。
 北太平洋は世界海洋の面積の21%、体積の25%を占め、海洋大循環の終点に位置しています。亜寒帯北太平洋と赤道東太平洋の表層ではFe濃度が低く、植物プランクトンの成長が制限されています。しかし、これまで海盆規模・全深度のFeの分布は報告されていませんでした。
 
2. 研究手法・成果
研究手法

 私たちの研究グループは、国立研究開発法人 海洋研究開発機構の研究船 白鳳丸」を用いた3回のGEOTRACES Japan航海(KH-05-2、KH-11-7、KH-12-4)で海水試料をクリーン採水しました。KH-05-2航海(2005年8~9月)は、GEOTRACES Japanの先行調査で、西経160度南北測線の南緯10度から北緯54度までの航海です。KH-11-7航海(2011年7月)とKH-12-4航海(2012年8~9月)は、GEOTRACES Japanの正式な調査で、それぞれ東経165度南北測線(GP18)と北緯47度東西測線(GP02)の航海です。私たちは、独自に開発した多元素一括分析法を用いて、未ろ過およびろ過海水を分析し、海水中の全可溶態鉄(tdFe)、溶存態鉄(dFe)濃度を求めました。置換活性粒子態鉄(lpFe)濃度はtdFe濃度とdFe濃度の差と定義しました。lpFeは海水を塩酸酸性pH2で長期間保存するうちに、アルミノケイ酸塩、鉄マンガン酸化物、生物起源粒子などから溶け出したFeです。
 
成果
① 北太平洋全体でlpFeの割合(lpFe/tdFe)は0.64 ± 0.23(平均 ± 標準偏差、n = 625)であり、lpFeがtdFeの支配的な化学形であることを示しました。lpFe/tdFe比を制御する主な要因には、Feの植物プランクトンによる取り込みおよび粒子への吸着が考えられます。Feは重要な必須元素であり、また海水中で三価の陽イオンを形成し、粒子に吸着されやすいため高いlpFe/tdFe比を示すと考えられます。
 lpFeの分布(図1a)は、置換活性粒子態アルミニウム(lpAl)と似ており、lpFeとlpAlには強い相関が見られます(lpFe [nmol kg−1] = (0.544 ± 0.005) lpAl [nmol kg−1] + 0.11 ± 0.04、r2 = 0.968、n =432; 図1c)。
 
② dFeは深さ400〜2000 mで極大を示します。特に北緯47度に沿う側線では、大陸に最も近い西と東の測点で強い極大が観察されます(図1b)。過去の研究では、西北太平洋のFeの中層極大はオホーツク海中層水の生成に関連していることが示唆されました。本研究の結果は、大陸斜面からのFeの供給はより一般的な現象で、それは還元的堆積物からのFeの溶出、植物プランクトンによるFeの豊富な取り込み、その後の沈降粒子および大陸斜面からのFeの再生が原因であることを示しています。
 
図1. (a)47°Nに沿うlpFeの断面分布。黒点は採水点を表す。(b)47°Nに沿うdFeの断面分布。(c)北太平洋全体でのlpFeとlpAlの相関図。点の色は測点の緯度を表す。
 
 
③ 海水中溶存態微量金属の濃縮係数(enrichment factor、EF)は次式で定義されます:
EF(dM) = (dM/dAl)seawater /(M/Al)upper crust
(dM/dAl)seawaterは海水中溶存態金属とアルミニウム(Al)の濃度比、(M/Al)upper crustは上部地殻の金属とAlの濃度比です。EF(dFe)の中央値は7.1であり(n = 436)、また置換活性粒子態Feの濃縮係数EF(lpFe)は2.9です (n = 435)。これらは報告されたエアロゾル中のFeの濃縮係数(1~2)と同程度です。この結果も陸源物質が海水中Feの主要供給源であることを示します。
 
④ 私たちは各測点において、表層から底層までのtdFeとdFeの積分濃度を求めました。西経160度に沿う測線では、tdFeとdFeの積分濃度はアリューシャン列島の大陸棚から500 km以内で急激に減少します。tdFeとdFeの積分濃度の自然対数は、大陸棚からの距離に対して直線的に減少し、tdFeとdFeが除去されていることを示します。したがって、私たちはバウンダリ・スキャベンジ・ゾーンが大陸棚から500 kmの幅を持つことを提案し、北太平洋においては、バウンダリ・スキャベンジ・ゾーンと外洋が、それぞれ体積の16%と84%を占めると見積もりました。そして、これを用いて、北太平洋におけるtdFe、dFe、およびlpFeの現存量はそれぞれ620億キログラム、160億キログラム、および460億キログラムであると推定しました。
 
3. 波及効果、今後の予定
 本研究は、海洋FeサイクルにおけるlpFeの重要性を示唆しました。また、微量元素循環における北太平洋の特徴を明らかにしました。今後は、白鳳丸によるKH-14-6航海において南太平洋の西経170度南北測線で4採取したろ過海水および未ろ過海水試料の微量金属9元素(Al、Mn、Fe、Co、Ni、Cu、Zn、Cd、Pb)の分析を完成し、北太平洋のデータと比べ、南太平洋における微量金属の分布の特徴を解明します。さらにインド洋の南北測線の研究を進めます。南太平洋とインド洋は観測が乏しい海域です。これらの結果は全球的な微量金属の分布、供給源、および除去源の解明に大きく貢献すると期待されます。
 
4. 研究プロジェクトについて
 本研究はJSPS科研費(JP16204046、JP21350042、JP24241004、JP15H0127、19H01148)、公益財団法人鉄鋼環境基金の助成を受けて実施されました。
 

●用語解説●

バウンダリ・スキャベンジ・ゾーン:大陸縁辺で沈降粒子が多い海域。海水から吸着・除去されやすい元素が速やかに除去される。