有機フッ素鎖のねじれ構造に起因するアトロプ異性が固体状態で発現することを解明
-これまで例が少なかった固体試料のラマン光学活性に道を拓く-

本成果は、201959日に国際学術雑誌「The Journal of Physical Chemistry A」にオンライン公開されました。
 京都大学化学研究所の下赤卓史助教と長谷川健教授の研究グループは、群馬大学の園山正史教授、網井秀樹教授、産総研の高木俊之主任研究員と金森敏幸研究グループ長の研究グループとの共同研究で、固体試料で特異的に現れる、有機フッ素鎖のねじれ構造に起因するアトロプ異性の識別に成功しました。
 
 パーフルオロアルキル(Rf)基は、隣接するフッ素原子間の反発によるねじれた分子骨格に大きな特徴があり、これにC-F結合に沿った大きな双極子モーメントを考慮すると、Rf鎖はCF2の数が7以上の時、自発的に分子集合します(SDA理論)。「ねじれ」という単語から予想できるように、Rf骨格は当然右と左のねじれがあるため、不斉炭素は持たないもののアトロプ異性を示します。しかし2つの状態間のエネルギーバリアは非常に低く、室温で自由に行き来できます。つまり、溶液試料中では右と左ねじれが等量のラセミ混合で、光学活性を示しません(図1a)。
 一方、自発的な分子集合による固体形成は、同じねじれのRf鎖どうしでしか起こりません。つまり、SDA理論で予測される通りの分子集合が起こっていれば、図1bのように右巻きもしくは左巻きドメインが形成して、ドメイン単位では強い光学異性を示すはずです。この、不斉炭素も発色団も持たない分子からなるドメインレベルの微小な分子集合体の光学活性を調べるため、顕微ラマン光学系の装置を用いたラマン光学活性(ROA)測定を行いました。
 ただし、固体のROA測定はほとんど前例がないため、標準的な試料を用いた正しい測定方法の確立から取り組みました。顕微ラマン分光器をROA測定用に改造し、焦点位置を調整することではじめて固体のROAスペクトルが再現性良く測定できるようになりました。また溶液に比べて高感度に測定できることがわかり、そのメカニズムも明らかにしました。自発的に分子集合した結晶は、明確な光学活性を示したことから、ラセミ混合の集合体ではなく、右巻き・左巻きの存在比が片方に大きく偏っており(図2)、SDA理論の予想を明確に実証しました。
 
 
図1. (a)希薄溶液中のRf鎖および(b)Rf鎖が集合して形成したドメイン
 
 
 
 
図2. 分光器の模式図と右巻きドメインのROAスペクトル
 
 今回我々が確立した測定手法は、固体試料におけるさまざまな「キラル化学」への適用が期待できます。例えば、溶液中では糸まり状ですが、固体状態では規則的なねじれ構造をとる高分子材料(アイソタクティックなビニル系ポリマーなど)はよい対象です。また、顕微光学系を用いているため、直径数10 μmくらいの領域ごとの情報を得られ、異性構造の分布を調べることも可能です。タンパク質の中には、脂質膜表面に吸着することで、規則的なねじれ構造形成が促進されるものもあります。特定のねじれ構造の形成によって病気が発現するというケースもあるため、原因解明につながるかもしれません。
 
 

●用語解説●

SDA(Stratified-Dipole Arrays)理論:パーフルオロアルキル化合物が示す撥水・撥油性をはじめとするバルク物性に加え、孤立分子が示す分子水の吸着等、Rf化合物に特有の物性を統一的に説明できる理論(詳細はChem. Rec. 17, 903–917 (2017).)。

 

ラマン光学活性(ROA; Raman Optical Activity):右(R)および左円偏光(L)を励起光とするラマン測定を行い、光学活性分子に対する応答の差I(R)-I(L)からその絶対配置を決定できる。