マルチスケールシミュレーションによる非晶有機薄膜中での電荷輸送解析
~電荷移動度の予測度が大きく向上、HOMO/LUMO以外の分子軌道も電荷輸送に関与していることを解明~

本成果は、201897日(金)に国際学術雑誌Scientific Reportsにオンライン公開されました。
 京都大学化学研究所 梶弘典教授、久保勝誠氏(大学院生)は、マルチスケールシミュレーションにより、有機非晶膜における電荷移動度を、任意性のある可変パラメータを一切用いることなく、正孔移動度、電子移動度ともに定量的に再現することに成功しました。また、この研究により、従来考えられてきた最高被占軌道(Highest Occupied Molecular Orbital, HOMO)、最低空軌道(Lowest Unoccupied Molecular Orbital, LUMO)のみでなく、他の分子軌道も電荷輸送に大きく寄与していることも明らかにしました(https://rdcu.be/50Fr)
 
概要 

 2017年、有機ELはスマートフォンやテレビなど、中小型から大型のディスプレイに広く応用されました。これらを皮切りに、今後、有機ELの実用化がさらに広がっていくものと期待されています。有機ELは、電気を光に変換するデバイスであるため、発光特性のみならず、電荷輸送特性(電気をどれだけ効率よく流すかという特性)に関しても、最終的なデバイス特性に大きく影響します。特に、有機EL内の有機薄膜は、結晶膜ではなく非晶膜からできているため、非晶凝集構造内での電荷輸送挙動を明らかにすることが、デバイス特性を理解する上で必須です。

 我々は、これまで、量子化学計算、分子動力学(MD)計算、動的モンテカルロ(kMC)計算を併用したマルチスケールシミュレーション(Multiscale Simulation, MSS)により、有機非晶膜中での電荷挙動を分子レベルで明らかにするとともに、有機非晶膜における電荷移動度の予測を行ってきました[1-3]2016年にはその大枠の計算手法を完成させましたが[2]、その当時、CBPという分子(下記、図a参照)の電荷輸送に関するシミュレーションを行った結果、正孔移動度は実測を良く再現した一方で、電子移動度に関しての再現性は不十分な状況にありました。

 上述の我々の先行研究を含め、これまでの非晶凝集系に対する移動度の計算においては、正孔輸送に関してはHOMO、電子輸送に関してはLUMOが電荷を輸送するものとして取り扱われてきました。我々も、これまでは先例にしたがって研究を進めてきましたが、その一方で「他の軌道は本当に使われていないのか?」という疑問を持ち続けていました。今回、常に頭の中にありながら行って来なかったこの疑問を解消すべく、他の分子軌道、具体的には、正孔輸送に関してはHOMOのみならずHOMO‒p軌道(ここでp = 1, 2, 3, …)、電子輸送に関してはLUMOのみならずLUMO+q軌道(q = 1, 2, 3, …) も考慮に入れたマルチスケールシミュレーションを行いました。その結果、これらの軌道も、HOMO, LUMOのエネルギー準位と近い場合には電荷輸送に大きく寄与することが明らかになりました。また、これらの寄与を考慮することにより、電荷移動度の予測性能をさらに向上させることにも成功しました(下記、図b)。現在、CBP以外の電荷輸送性材料に対しても実測データを再現できるか、検討を進めています。

 
図:(a)マルチスケールシミュレーションによる有機非晶膜中の電荷輸送解析。有機分子からなる非晶凝集構造をMD計算により構築し、kMC計算を用いて電荷移動挙動をin silicoで予測・解析する。有機非晶系においては、分子軌道間の電荷のやり取りにより電荷が輸送される(ホッピング伝導)。(b)本研究のモデルと電子移動度の電界強度依存性。電荷ホッピング可能な経路としてHOMOやLUMO以外の分子軌道も考慮することにより、以前のモデル(J. Mater. Chem. C 2015, 3, 5549およびSci. Rep. 2016, 6, 39128)では再現できなかった電子移動度の実測データ(●)が精度よく再現された()。
 

●用語解説●

有機EL 電界を印加することよる発光をエレクトロルミネッセンス(EL)という。特に、有機物質が発光する場合、有機ELと呼ぶ。

 

モンテカルロ法: 数値計算において、乱数を用いた試行により問題の近似解を求める手法。試行回数が増えるほどその近似度は高まる。モンテカルロ法の中で、ある過程の時間発展を計算するために用いられる手法を動的モンテカルロ法という。

 

マルチスケールシミュレーション(多階層計算) 異なる時空間スケール(ナノメートルからマイクロメートル,ピコ秒からミリ秒など)にまたがる現象・問題を対象とした計算。ここでは、量子化学計算、分子動力学(MD)計算、動的モンテカルロ(kMC)を併用することにより、異なる空間スケールでの計算を行っている。