動的核偏極NMR法による有機半導体薄膜の分子配向解析
~有機非晶薄膜1枚(50 μg)での固体NMR測定に成功~

本成果は、2017年10月27日(金)に国際学術雑誌「Angewandte Chemie International Edition」にオンライン公開されました。

 京都大学化学研究所 梶弘典教授、鈴木克明助教、久保勝誠氏(大学院生)、福島達也助教(現 神戸大学講師)と、Bruker Biospin社の Dr. Fabien Aussenac, Dr. Frank Engelkeのグループは、動的核偏極(Dynamic Nuclear Polarization, DNP)NMR法により、ガラス基板上の有機非晶薄膜1枚という極微少量のサンプルに対して、固体NMRによる有機分子の配向解析が可能であることを示しました。本研究は、有機非晶薄膜中における分子の配向分布をその「分布」を含めて解析した初めての例です。
 

概要

 有機EL素子中の有機薄膜は非晶状態にありますが、薄膜の作製法によっては非晶状態を保ちながらも内在する分子は配向していることが明らかになっています。この分子配向は、非晶質材料の科学という基礎的な面のみならず、有機EL素子からの光取り出し効率や素子中での電荷移動度の向上という素子特性の面においても極めて重要です。
 そのため、有機EL素子の分子配向に関して、微小角入射広角X線散乱(GIWAXS)[1]、赤外多角入射分解分光法(IR-pMAIRS)[2]、多入射角分光エリプソメトリー(VASE)[3]、PL 配光分布測定[4]による様々な解析が行われてきました。これらの測定においては、系全体の分子配向度を平均値として得ることができますが、実際の分布を含めた解析は不可能でした。
 それに対し、固体核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance, NMR)法は、上述の各手法では不可能であった、分子の配向を「分布」を含めて解析することができるユニークな測定手法です。しかし、その一方で、固体NMRは上述の手法に比べて測定感度が極端に低いという大きな問題を抱えていました。そのため、有機薄膜1枚での測定は、これまで困難を極めていました。
 このような感度が非常に低いという大きな欠点にも関わらず、NMRが現在まで広く使われてきたのは、NMRが幅広い対象に対して極めて精密な構造および運動情報を与えてくれることに起因します。すなわち、この測定感度の問題を解決できれば、これまでより遙かに有用な解析装置として活躍することが期待されます。そのため、発展し続けているNMRの歴史において、感度向上への取り組みは常に重要なテーマであり続けていました。Fourier変換法のNMRへの導入や磁石の高磁場化はその最たるものです。溶液NMRではすでにスタンダードとなったクライオプローブは、シグナル強度を大きくするのではなくノイズを低減させるという逆の発想です。常磁性緩和試薬の利用は、単位時間当たりのシグナル強度増大に寄与しますし、1H indirect detectionやCross Polarization(CP)法などパルス系列の開発による感度向上も進められてきました。溶液の多次元測定ではNon-Uniform Sampling(NUS)が活躍しつつあります。このように、書きだせばきりがないくらい多様な側面からの手法開発が行われ、感度向上に寄与し続けてきました。
 これらの流れの中で、最近、超偏極(hyperpolarization)と呼ばれる技術による感度向上が注目されています。中でも特に、動的核偏極(Dynamic Nuclear Polarization, DNP)NMR法は、現在のところ、超偏極技術の中で最も成功を収めており、理論上、同一温度で660倍の感度向上が得られると期待されています。実験的にも200倍以上の感度向上が頻繁に見られ始めています[5]
 今回、我々は、このDNP-NMRを用い、上述の有機薄膜1枚のNMR測定を試み、わずか52 μgの非晶薄膜内での分子配向を、その分布も含めて定量的に解析することに成功しました。本研究では、電子スピンソースとなるラジカル分子をドープした電子輸送材料POPy2(図1a)の非晶薄膜を塗布、あるいは蒸着法により作製した試料(図1b)についてDNP-NMR測定を行い(図1c)、配向解析を行うのに十分なS/N比を持ったNMRスペクトルを得ることに成功しました(図1d)。また、これらのスペクトルの解析から、図1eに示した配向分布を得ることができました。蒸着膜ではPOPy2のP=O軸が基板に対して垂直に配向する傾向がある一方、塗布法ではランダムに配向しているという明確な結果を得ることができました。本研究は固体NMR法により有機デバイス材料の配向分布を明らかにした初めての例です。
 本測定はFranceにて行われましたが、2017年 京都大学化学研究所に、日本を含めたアジア全域において同装置が初めて導入されました。この導入を機に、今後、我々の研究所において、これまで感度の問題で不可能であったNMR解析を可能とすることにより、有機デバイス分野はもとより、幅広い分野における知の基盤強化に大きく貢献することが期待されます。

 
 
 
図1: a) 本研究で使用した有機半導体材料とラジカル分子の構造。b) 試料作製法の概略図。共蒸着法と塗布法により試料を作製。c) DNP-NMR実験の概略図。有機半導体薄膜試料にマイクロ波を照射し、NMRスペクトルを測定。d) 得られたDNP-NMRスペクトル。試料の作製法の違いにより、NMRスペクトルが大きく異なっている。e) 実際の分子の配向分布。蒸着膜はP=O軸が基板に対して配向する傾向がある一方、塗布膜はランダムに配向していることが明らかとなった。
 
 
図2:DNP-NMR装置概観(2017年10月31日、京都大学 化学研究所にて撮影)
 
 

参考文献

[1] R. Gilles et al., Surf. Sci. Rep., 64, 255 (2009).

[2] T. Hasegawa, Anal. Bioanal. Chem., 388, 7 (2007).

[3] J. A. Woollam et al., Thin Solid Films, 166, 317 (1988); H-W. Lin et al., J. Appl. Phys., 95, 881 (2004); D. Yokoyama, J. Mater. Chem., 21, 19187 (2011).

[4] J. Frischeisen et al., Appl. Phys. Lett., 96, 073302 (2010).

[5] A. S. Lilly et al., Prog. Nuc. Magn. Reson. Spectrosc., 102-103, 120 (2017).

 

●用語解説●

動的核偏極(Dynamic Nuclear Polarization, DNP)NMR法: 電子のスピン偏極を原子核へ移動させることにより、核スピンの偏極率を高める手法のこと。通常、NMRの感度が極めて低いのは、核スピンの偏極率が極めて小さい(例えば、9.4 Tの静磁場下では水素核の偏極率は約0.01%)ためであるが、DNPにより6.6%にまで増大させることができ、同一温度下では理論上660倍の感度向上が可能である。極低温での測定では、偏極率100%にすることも原理的には可能である。

 

核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance, NMR)法: 磁場中における核スピンの共鳴現象に基づき、その共鳴周波数を観測することにより、物質の分子構造や運動情報を原子レベルで解析する手法。生体、無機・有機材料を問わず、非常に広範な試料について測定を行うことが可能である。

 

非晶(amorphous)状態: 結晶ではない状態。非晶、amorphousはそれぞれ、結晶に非ず、morph(形)がない(a-は否定の接頭辞)という意味。具体的には、結晶のような長距離秩序をもたない状態であり(短距離秩序は存在する)、液相からの急冷により過冷却状態を経て得られる(場合によっては気相からの急冷によって得られる)。その意味で液体とも考えられるが、運動性が制限されているため力学的には固体的な性質を持つ。熱力学的には、この運動の制限のため安定な状態(結晶)になることができず、準安定な非平衡状態にとどまる。基本的に構造はランダムで等方的であるが、今回の試料のように、非晶状態にもかかわらず分子が配向し、異方性が見られる場合もある。

 

スピン偏極: 静磁場下では、電子および核スピンは静磁場と同じ方向を向く(平行スピンあるいは上向きスピンと呼ばれる)か、逆方向を向く(反平行スピンあるいは下向きスピンと呼ばれる)。スピン偏極は上向きスピンと下向きスピンの差によって生じ、全スピン数に対する、上向きスピンと下向きスピンの差の割合をスピン偏極率という。