時任 宣博教授、長洞 記嘉特任研究員、笹森 貴裕助教ら「初めての安定なリン-リン二重結合を有するフェロセン類の合成と性質の解明に成功」(07/10/15発表)

平成20年1月 トピックス

時任宣博教授、長洞記嘉特任研究員、笹森貴裕助教ら

(平成19年10月15日「Bulletin of the Chemical Society of Japan」に発表)

 有機元素化学研究領域の長洞記嘉特任研究員(生存基盤科学研究ユニット助教)、笹森貴裕助教、時任宣博教授、ならびに早稲田大学先進理工学部・渡辺恭彰氏、古川行夫教授らの研究グループは、速度論的安定化効果の手法を用いた初めての安定な1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類の合成と性質の解明に成功しました。

 1981年に速度論的安定化の手法により初めての安定なジホスフェン(P=P)が合成されて以来、高周期15族元素間二重結合化合物の化学が注目を集めており、これまでに安定な化学種としてジホスフェン類に加え、種々のホスファアルセン(P=As)並びにジアルセン(As=As)類が合成・単離されています。私たちの研究グループでは、独自に開発した有用な立体保護基である2,4,6-トリス[ビス(トリメチルシリル)メチル]フェニル基(以下Tbt基と省略)および2,6-ビス[ビス(トリメチルシリル)メチル]-4-[トリス(トリメチルシリル)メチル]フェニル基(以下Bbt基と省略) を用いることで、ジスチベン(Sb=Sb)、ジビスムテン(Bi=Bi)、ホスファスチベン(P=Sb)、およびホスファビスムテン(P=Bi)類を安定な物質として合成することに初めて成功し、それらの特異な構造や性質について報告しております(図1)。つまり、現代の化学において広く用いられるアゾ(N=N)化合物の高周期類縁体は、適切な置換基を選択し、効率的な合成経路を開拓することで、取り扱いが可能な物質となることが明らかになりました。

 また近年、高周期15族元素間二重結合化合物が有する特徴的な低いLUMOの性質を活かし、新規な酸化還元系の構築への展開についても研究されるようになってきました。そこで私たちの研究グループでは、高周期15族元素間二重結合化合物の特性を活かした新規な酸化還元系を構築し、その性質を明らかにする目的で、TbtおよびBbt基により速度論的に安定化された1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類を設計・合成し、それらの構造および性質について報告しました。


図1.時任教授らのグループで開発された効果的な立体保護基

 対応するホスフィンから調製したリチウムホスフィドと1,1′-ビス(ジクロロホスフィノ)フェロセンを反応させ、引き続き塩基として1,8-ジアザビシクロ[5.4.0]ウンデカ-7-エン(DBU)を作用させることで標的化合物(E,E)-1a/(E,E)-1bの合成に成功しました(式1)。これらはどちらも安定な紫色結晶性物質でありました。各種スペクトルおよび単結晶X線結晶構造解析により、これらの分子構造を明らかにしました(図2)。


式1. 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類(E,E)-1a/(E,E)-1bの合成経路


図2. 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類(E,E)-1a (左)/(E,E)-1b (右)のORTEP図 (50% probability)

 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類の紫外可視吸収スペクトルでは、3つの吸収帯が観測され、これらはそれぞれジホスフェン部位のπ軌道からπ軌道、およびn軌道からπ軌道への電子遷移、さらに鉄原子のd軌道からジホスフェン部位のπ軌道への電子遷移に由来する吸収であると考えられます(図3)。この帰属は、モデル分子を用いた分子軌道計算により強く支持されております。


図3. 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類(E,E)-1a (紫色)/(E,E)-1b (青色)の紫外可視吸収スペクトル

 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類の電気化学特性を各種ボルタンメトリーにて測定したところ、-1.8から-2.4 V (vs. Ag/Ag+)に段階的な可逆な一電子酸化還元波が観測されました(図4)。これは1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類のジホスフェン部位の段階的な一電子還元に由来していると考えられます。


図4. 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン(E,E)-1bのサイクリックボルタモグラム

 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン(E,E)-1bと6族遷移金属との配位子交換反応を行ったところ新たな金属錯体の生成が確認されました。つまり、1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン(E,E)-1bは6族遷移金属に対して二座で配位する有効な支持配位子として働くことも明らかになりました(式2)。


式2. 1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン(E,E)-1bと6族遷移金属との配位子交換反応

 これまで高周期15族元素間二重結合は基礎化学的な研究対象でありましたが、効果的な立体保護基を用いて安定化を施すことにより、新たな機能性部位を導入した化合物でも安定に取り扱えることが初めて明らかになりました。これらの結果は、高周期15族元素間二重結合化合物を用いた新たな機能・物性化学への扉を開くものであります。今後は1,1′-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類を二座配位子として用いることで、新たな金属錯体を合成し、それらの性質を系統的に理解することが課題の一つであります。


●用語解説●

1速度論的安定化                         本文へ戻る

反応活性化合物の安定化手法の一つ。不安定化学種へ立体的に大きな置換基を導入することで分子間反応の活性化エネルギーを上げ、副反応を抑制し、対象化合物を安定な物質として単離する手法。主に、空気中の酸素や水との反応や自己多量化反応を防止している。

2高周期15族元素間二重結合化合物                 本文へ戻る

周期表第三周期以降の15族元素化合物であるリン(P)、ヒ素(As)、アンチモン(Sb)、およびビスマス(Bi)元素で形成される二重結合化学種であり、1970年代までは存在しないとされてきた。第二周期の窒素元素間二重結合化合物(-N=N-)であるアゾ化合物の高周期類縁体。同周期間二重結合化合物には、ジホスフェン(-P=P-)、ジアルセン(-As=As-)、ジスチベン(-Sb=Sb-)、およびジビスムテン(-Bi=Bi-)があり、すべて速度論的安定化の手法により安定な化合物として存在することが報告されている。異周期間二重結合化合物(考えられる組み合わせは6種類)であるホスファアルセン(-P=As-)、ホスファスチベン(-P=Sb-)、ホスファビスムテン(-P=Bi-)、およびスチバビスムテン(-Sb=Bi-)は既に安定な化合物として合成・単離されている。

3 LUMO                             本文へ戻る

最低非占有分子軌道(Lowest Unoccupied Molecular Orbital)の略。

●論文情報●

平成19年10月15日、社団法人日本化学会論文誌Bulletin of the Chemical Society of Japanにて発表(BCSJ Award受賞)
Kinetically Stabilized 1,1´-Bis[(E)-diphosphenyl]ferrocenes: Syntheses, Structures, Properties, and Reactivity.
(速度論的に安定化された1,1´-ビス(ジホスフェニル)フェロセン類:合成、構造、性質、反応性)
Noriyoshi Nagahora,1,2 Takahiro Sasamori,1 Yasuaki Watanabe,3 Yukio Furukawa,3 and Norihiro Tokitoh*1
1 Institute for Chemical Research, Kyoto University, Gokasho, Uji, Kyoto 611-0011
2 Institute of Sustainability Science, Kyoto University, Gokasho, Uji, Kyoto 611-0011
3 Department of Chemistry, School of Science and Engineering, Waseda University, 3-4-1 Okubo, Shinjuku-ku, Tokyo 169-8555