碧水会
碧水会の名称について
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「碧水会」の名称について

本同窓会「碧水会」の名称は、化学研究所親睦会の名称を踏襲している。親睦会「碧水会」の発足の経緯などについては、国近三吾先生、後藤廉平先生が広報誌などに寄稿されており、経緯、会名などについて下記に要点を抜粋して紹介します。

発足の経緯
(京大広報1981.11.1に記された随想:国近三吾「化学研究所碧水会と私」より要点抜粋)

・戦時中に堀場信吉所長が親睦を図る目的で「大和会」を作るも、
 終戦とともに自然消滅。
・職員組合高槻支部が結成される。
・昭和24年に同支部から化研厚生委員(森茂樹、国近三吾)に
 「大和会」のような会を共同して設立してはとの申し出あり、
 職員組合から水渡英二、嶺正男、形舞武男、厚生委員から森茂樹、
 国近三吾が協議し、国近三吾が世話役を仰せられる。
 会の結成の可否について世論調査を実施(80%以上の賛成)
・昭和24年9月 各研究室から委員が選出され委員会を発足、それにより、
 所長は名誉会長、会長は委員会で選挙。国近三吾が選出される。
・会名は会員からの公募により、後藤廉平教授応募の「碧水会」と決まり、
 会則を起草委員会で作る。
・総務部、会計部、文化部、運動部をおき、設立経緯、役員、会則などを公示し、
 活動を開始する。
・昭和24年12月に第1回忘年会を実施するが、忘年会は昭和27年末で終わり、
 涼飲会に変わる。

会名
(黄檗第1号1994.10の国近三吾「追憶」と下記会誌の名誉教授近況:後藤廉平「碧水会の名称」より)

・淀川からの連想で、若々しいと云う気分を含めたつもりである。
・当時、高槻は排水が悪く雨水が溢れ、碧水どころか泥水であったとの逸話あり。
・宇治川に近い今の化研にも碧水という名称は縁があるようです。

会誌

・昭和63年に「碧水会便り」創刊される。(10ページ)名誉教授近況が
 5ページ、その他は教授退休の辞、留学生の声、碧水会の活動、
 総務より会計報告など
・その後、刊行された記録は残っていない。